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| 本書は投資に「社会的責任投資」(SRI)というアプローチを取り入れるための基本哲学を紹介する。投資に価値観を持ち込むことで社会的責任投資家は企業に確実で持続的な影響力を及ぼす。また一般大衆投資家こそ金融資本を話し合いのテーブルに就かせる力を持つ。SRIの研究機関として最も権威のあるKLD社の創設者の一人。Domini social Indexは著者が中心に開発したもの。 | |
社会的責任投資目次 日本の読者への序文 社会的責任投資のすべて 第1章 投資する方法が重要:社会的責任投資の目標を定義する グローバル資本主義による制覇 社会的責任投資家のモティベーションは何か 社会的責任投資家が使う三つの基本的アプローチ 第2章 過去は序幕である:社会的責任投資運動は如何にして始まり, 継続的に発展しているか 信仰の遺産 1968-1978年の時代背景 南アフリカ問題の果たした役割 健全なコミュニティを作る 社会的責任投資発展のケーススタディ 第3章 投資をスクリーニングする:物事の本質を見る ネガティブ・スクリーニングの重要性 質的ないしポジティブ・スクリーニング スクリーニングで容易にできる ソーシャル・スクリーニングではできないこと 第4章 直接的対話:投資家として変化を求めてきっちりものを言う 株主の権利が行動主義への機会に結びつく タバコ・キャンペーン:行動主義の実践 行動主義と環境 やさしい株主行動主義 第5章 コミュニティ経済開発:地域を変える投資法 コミュニティ開発ローンファンド コミュニティ開発銀行 コミュニティ開発信用組合(CDCU) コミュニティ開発金融機関(CDFI)への組織的な支援 CDFIへの投資 第6章 グローバルファイナンスとグローバル経済への影響 一つの世界におけるSRIの三つの側面 一つの世界でそれぞれの文化の最良の部分を得る 第7章 社会的基準を投資決定に活かす:このようにすれば儲かる ソーシャル・スクリーニングでより良い投資決定ができる 株主との対話が企業をトラブルから守る コミュニティ経済開発 第8章 SRI(社会的責任投資)の力:より良い投資はより良い未来を作る 金融サービス業界における良識を求める意見を確立する 変革を引き起こすきっかけを作るSRI 補遺 1.Kinder, Leidenberg, Dominiの社会的格付け基準2000 2.ジョンソン・アンド・ジョンソンの社会的格付けの例 訳者あとがき・索引 |
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日本の読者への序文 本書は希望のメッセージを届けるために書かれた。読者は投資にあたり熟慮するという単純な行動によって,全人類の尊厳と環境の持続性が保たれた世界を創造する一翼を担うことができる。投資に価値観を持ち込むことがその方法である。 本書(原題:Socially Responsible Investing)が日本語に翻訳されることになると聞き,私は興奮した。日本のマーケットではエコ・ファンドの役割が既に認知されているので,社会的責任投資はその考え方の延長線にあると言ってよい。ひとりひとりが投資の意思決定をする際に,熟慮し配慮することによって世界に対して積極的な貢献ができると,社会的投資家は信じている。 * ほとんどの人は良い人間であると思われたいものだ。自分のしたことが親切な行為となり,われわれの子供やまたその子供の導きになればと願っている。思慮深さと尊敬の念をもって,これらすべてに取り組みもうとしている。しかし同時に,世界に兵器があふれ,貴重な自然の資源が浪費され,人々が子供の教育はおろか食べさせ,衣服を与えるのさえ汲々としているのを見ると,絶望的になる。 われわれは自分自身を苦難の原因だとも,救済の担い手になり得るとも思っていないが,実は違う。預金口座を開くにせよ,株や債券を買うにせよ,個人が投資をするということは,自分が思っている以上のことに参画しているのである。それはグローバル・ファイナンスである。投資家というものは金融や商業のエンジンが機能するのに必要な要素なのである。われわれ投資家は何を築き,何を築かないかを明らかにするとともに,築くにあたっては慎重であるべきなのである。 * われわれの価値観が正確に伝わらないとすると,地球を大切にするのは企業の役目ではないというメッセージを作り出してしまうことになる。経営者が金儲けのためにはそこまでやるかと知ってショックを受けながら,実際はそうすることを要求しているのである。中立だとか価値観と関係ないというような投資行動は存在しない。価値観なき投資は。価値そのものを危うくし,金融の力を社会のニーズと対立させてしまう。 健全なシステムのために自然なバランスが保たれなければならない。自然についても,人間の幸福についても,グローバルなレベルでも同様である。われわれは今日,「金融や商業」と「マネーや貿易」との間の自然なバランスを追求している。文明が歴史のなかで進むにつれて,衣食住や快適さを世界のほとんどの地域にもたらしたという点では,資本主義は極めて効率的であった。投資家にインセンティブを与えて集めたカネで,工場が建設され商品が出荷・販売され,これらの商品を購買できる市民へ雇用機会を提供する。投資家は裕福になる可能性があるのでニュービジネスにも賭ける。 * しかし,資本主義の成功には犠牲が必要であったし,バランスも失われた。新たに「優しい資本主義」が必要とされている。今日の金融サービス業者は,かつての植民地主義者のように経済から絞りだせるものを絞り出し,その結果,市民生活の不安や環境破壊への対処を地域の人々に迫っている。 社会的責任投資家の目標と信念は簡単なものである。われわれは環境のよい,安全な未来を求めている。今日どのように投資するかが,明日の世界を形成すると信じている。企業に投資する場合は,環境や安全が重要だと思っている。結局のところ,われわれのような一般投資家大衆こそに金融資本を話し合いのテーブルにつかせる力があるのだ。 * より良い企業に投資し,より良いオーナーとなり,より良い隣人となることによって,社会的投資家は確実で持続的な影響力を持ち続ける。ネガティブな影響を与えている企業が判れば,企業が何をすることが望まれているのかを明らかにし,フォローする。経営者と面会し問題を指摘するところまできちんとわれわれが株主の責任を受け止めるのならば,環境の行動基準や原材料調達の基準が新たに更新されるであろう。よりよき隣人として振る舞い,地域開発の貸出組織をサポートするならば,ローンを借りた人々の生活に直ちに好ましい影響がある。 子供たちが住む世界を創造するために投資しなければならないとの思いを抱く個人が多くなればなるほど,企業のストラクチャーも対応して変わる。企業の社会的責任や環境報告を発表している多国籍企業は数十に及ぶ。しかし,社会的投資家になることの最も重要な点は,自分自身が何かをなし得る存在であることに気づき始めることだろう。希望もなくグローバルな力に翻弄される存在から,日常のどんなことにも思慮深く回答を求めていく心優しい存在に変身するのである。 * 私はこの本によって,世界中の投資家が誇れるような未来を築くのに個人として使えるツールを提供できればと思っている。バランスが早急に回復されなければならないし,金融が政府や市民社会や消費者,そして環境を支配してはならないことをわれわれは知っている。為すべきことの重要性と地球が小さい存在で時間もそんなにないことも知っている。社会的責任投資は,より良き明日を築くのに参画しようとしている人たちに,希望と行動の指針を与えてくれるのである。 |
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| 2000年総選挙に立候補した候補者1200人弱の作成した選挙ポスター685枚を収集・データベース化し,多様な変数を抽出して,比較検討し,興味深い命題を提示した本邦初の試み。研究者のみならず候補者および選挙関係者にとって必読の価値あり。 | |
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はしがき 本書は東京大学法学部における第4期蒲島ゼミの研究成果である。選挙ポスターの研究をゼミの研究課題としたきっかけは,私の親しい友人であるT・J・ペンペル・ワシントン大学教授との語らいにある。ペンペル教授は,比較政治理論の観点から日本政治をシャープに分析している優れた政治学者だが,10数年前に彼と今後日本政治の分野で行われるべき研究課題について議論したことがある。その一つとして挙がったのが選挙ポスターのコレクションである。国政選挙の候補者の選挙ポスターをすべて収集し,それを一冊の本にまとめたら,日本の政治文化を知るうえでこれほどの重要資料はないだろうと話したことがある。しかし,それには多大な労力とカラー印刷のための莫大なコストがかかる。研究の構想は続いていたものの実現には至らなかった。そこで今回のゼミでは長い間温めていたポスターの研究を行うことにした。 * 研究を計画するのは楽しいが実行は困難である。2000年総選挙が行われたのが6月25日,ゼミがはじまったのが10月であるから,この時期のずれがポスターの収集を困難にした。それでも候補者や政党事務局の協力のおかげで685枚のポスターを集めることができた。それをすべてデジタル・カメラで撮影し,CD-ROMに収めた。ここまでは肉体労働だが,それから先は知的作業である。本書のユニークさは一枚のポスターから77件の変数を抽出し,それを様々な観点から分析したことである。オリジナル・データを用い,世界的にも前例のない選挙ポスターの分析に取り組んだために,実に独創的で微笑ましい研究になっている。本書は選挙ポスターに関する研究書として,最初の(多分最後の)本格的なものである。私は常々,「人のやっていない研究をしなさい」といっているので,それを成し遂げてくれたゼミ生を誇りに思っている。 * 蒲島ゼミでは一流の研究テーマで,その研究遂行には一人の研究者には手に負えない集団的な知的勤勉性が必要とされる研究課題を選んできた。そして50年,100年経っても貴重な資料となるべく徹底した実証性を重んじてきた。さいわい,『「新党」全記録』,『現代日本の政治家像』,『有権者の肖像』と続いてきたゼミの成果は評価も高く多くの研究者に引用されている。また,ハーバード大学をはじめ海外の一流大学の図書館にも配架されている。今回のゼミ生もこの知的伝統をよく受け継ぎ,予想以上の成果を挙げてくれた。ゼミ生たちが今回の重要な知的作業に参加し,東大生として生きた証を残したことを誇りに,今後の人生を切り開いていって欲しいと思う。 * 最後になったが,ポスターの収集にご協力いただいた多くの候補者や政党事務局の方々に心よりお礼申し上げたい。さらに,今回も採算を度外視して本書を出版された,木鐸社の能島豊社長と坂口節子編集長に心から感謝したい。 2002年8月 第5期ゼミ「参議院の研究」のつくば合宿の合間に 蒲島郁夫 |
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目次 はしがき 蒲島郁夫 序 境家史郎 分析対象とサンプルのバイアス 用語説明 第一部 分析篇 序章 選挙ポスター研究の意義 菅原琢 第1章 選挙ポスターの構成要素T〜デザイン 【ポスターのレイアウトパターン】 吉田苗未 【ポスターの構成要素の使用割合】 大野桂嗣 【色彩心理学からポスターを見る】 吉田苗未 【黒色系のポスター】 吉田苗未 【ロゴマークはどうなのか】 平田知弘 第2章 選挙ポスターの構成要素U〜写真 【候補者の写り方】 境家史郎 【候補者の顔の位置】 泉澤潤一 【全身を写したポスター】 古賀光生 【手の写っているポスター】 古賀光生 【候補者のファッションチェック】 古賀光生・境家史郎 【小道具を使ったイメージ戦略】 古賀光生 【議員バッジの有無】 境家史郎 【共産党は眼鏡がお好き?】 北岡亮 第3章 選挙ポスターの構成要素U〜文字情報 【苗字の位置と大きさ】 泉澤潤一 【名前は縦書きか横書きか】 平田知弘 【姓名の表記方法】 泉澤潤一 【候補者名の書体】 大野桂嗣 【政党名の表記の仕方】 泉澤潤一 【「比例代表は○○党へ」の謎】 境家史郎 【経歴をアピールする候補者たち】 平田知弘 【スローガンに置かれたウェイトを見る】 泉澤潤一 【古臭い「新しさ」〜カタカナ語・英語・URL】 大野桂嗣 【スローガンのなかの未来志向】 大野桂嗣 【地元志向に見る候補者の建前と本音】 大野桂嗣 第4章 候補者属性と選挙ポスター 【79年ポスターとの比較(個人篇)】 境家史郎 【老兵たちの肖像】 中西俊一 【若者たちの肖像】 中西俊一 【年齢表記に見られる候補者の選挙戦略】 菅原琢 【勝ち組と負け組】 中西俊一 【世襲候補のポスター】 泉本宅朗 【無所属候補のポスター】 河野一郎・境家史郎 【他力本願ポスター】 菅原琢 【捲土重来を誓う候補者たち】 大野桂嗣 【派手なポスター】 畑江大致 【迷スローガン・迷デザイン】 大野桂嗣 第5章 選挙区属性と選挙ポスター 【レイアウトの地域格差】 菅原琢 【田舎のポスター・都会のポスター】 菅原琢・大野桂嗣 【大阪VS東京】 菅原琢 【地域争点】 河野一郎・境家史郎 【競合候補者を意識したポスター】 河野一郎 第6章 政党と選挙ポスター 【79年ポスターとの比較(政党篇)】 境家史郎 【政党のアピール戦略】 平田知弘 【党首対決】 境家史郎 【政党別公約】 境家史郎 【自民王国】 畑江大致 【自民党「改革派」のジレンマ】 山本耕資 【拒否度への対応〜公明党と共産党】 古賀光生 【ポスターから見る創価学会票論争】 菅原琢 第7章 並立制下の選挙運動 菅原琢 1.はじめに 2.政党本位の視点 3.比例区と選挙区の連動効果 4.選挙運動と候補者の自立性 5.結論と含意 第8章 政党組織と候補者の比例区行動 境家史郎 1.はじめに 2.先行研究と仮説 3.政党組織と比例区戦略 4.重複立候補者の比例区行動 5.結論と含意 第9章 選挙キャンペーンにおける「ジェンダーアピール」の位置付け 古賀光生 1.はじめに 2.「ジェンダーアピール」をめぐる論点 3.事例 4.「ジェンダーアピール」の政治的意味 第10章 2000年総選挙・各政党の戦術とポスター分析のまとめ 終章 本研究の総括と展望 菅原琢 第二部 資料篇 資料T 選挙ポスターの作られ方 資料U ポスターに関するデータ 資料V 「79年ポスター」に関するデータ 第三部 選挙ポスター集 あとがき 大野桂嗣 執筆者紹介 |
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著者が1981〜1999年にかけて発表した14篇の論文からなり,現代社会が解決を迫られている「平等問題」について,著者の一般的な平等理論とその具体的な適用が体系的に展開されている。平等論の根本問題は「分配的正義」の脈絡上,人々の「何を」平等にすることかという問題である。ドゥウォーキンの考える「資源の平等」論が他の諸理論との比較・批判的検討によって,最適であることが提示され(T部),U部では福祉プログラム,選挙資金制限,積極的差別是正措置等具体的問題をめぐり,考察する。 | |
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目次 序 なぜ平等は重要なのか 第T部 理論篇 第1章 権利の平等 1.2つの平等論 2.最初の考察 3.福利の平等の諸観念 4.成功理論 5.喜びの平等 6.客観的な福利理論 7.統合論への示唆 8.高価な嗜好 9.身体障害 10.福利主義 第2章 資源の平等 1.競売 2.考察すべき課題 3.運と保険 4.労働と賃金 5.不完全就業と保険 6.掛金としての税金 7.他の正義理論 第3章 自由の地位 1.緒論:自由と平等 2.2つの戦略 3.自由を競売にかけることができるか 4.抽象化の原理 5.他の諸原理 6.現実世界への帰還 7.自由と不正 8.回顧 第4章 政治的平等 1.民主主義のための2つの戦略 2.権力の平等とは何か 3.参加上の価値 4.分配上の価値 5.立憲主義と原理 6.結語 第5章 リベラルな共同体 1.共同体と民主主義 2.共同体と配慮 3.自己利益と共同体 4.共同体との統合 5.リベラルな共同体 第6章 平等と良き生 1.リベラル派の人々は良く生きることができるか 2.哲学的倫理学 3.倫理から政治へ 第7章 平等と潜在能力 1.2つの異論 2.偶然と選択 3.中毒者と我々 4.人間と運 5.平等と潜在能力 第U部 実践篇 第8章 正義と高いヘルスケア費 第9章 正義・保険・運 1.序論:正義にとって厳しい時代 2.戦略的問題 3.保守派の議論 4.おなじみの非連続的な解答 5.仮想保険事業計画 6.くじ運 7.運・社会階層・世代 第10章 言論の自由・政治・民主主義の諸次元 1.序 2.提案された改革 3.民主主義とは何か 4.民主主義と自由な言論 5.法の記録 6.真理に向けての議論 7.提案の再考 8.結論 第11章 積極的差別是正措置は成功しているか 第12章 積極的差別是正措置は公正か 第13章 神を演じる:遺伝子・クローン・運 1.初めに 2.診断と予後 3.クローンと遺伝子工学 4.後記:倫理的個人主義のインパクト 第14章 性と死に関わる裁判所 訳者あとがき/索引 |
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関連書 権利論〔増補版〕 R. Dworkin, Taking Rights Seriously, 1977 R. ドゥウォーキン著 木下毅・小林公・野坂泰司訳 A5判・400頁・4000円(2002年7刷)ISBN4-8332-0220-4 C3032 T・Uルールのモデル 企難解な事案 V憲法上の事案 W正義と権利 X権利の尊重 Y市民的不服従 Z逆差別 エピローグ 正義,市民的不服従,人種差別などを論じながら,功利主義に対し「平等な尊重と配慮」を受ける自然権の優位を主張する。現代法哲学の代表的名著の邦訳。 権利論 U R. Dworkin, Taking Rights Seriously, 1977 R.ドゥウォーキン著 小林公訳 A5判・250頁・2500円(2001年1月) ISBN4−8332−2299−X C3032 先に訳出刊行した『権利論』の続編。著者への批判に対して反駁した論稿を柱とする形で編まれた権利擁護の社会哲学的細説。 自由の法 ■米国憲法の道徳的解釈 Ronald Dworkin, Freedom's Law, 1996 R. ドゥオーキン著 石山文彦訳(大東文化大学法学部) A5判・522頁・6000円(1999年) ISBN4-8332-2280-9 著者の体系的法理論に含まれる純一性の理念を擁護するという主張を,米国社会の様々な現実問題に適用し,国論を二分している個人の基本権をめぐる憲法上の具体的事例と関連付けて論じる。 |
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| 第一部で非・法的な協力の一般的モデルとしての「シグナリング・ゲーム」を提示し,第二部では,それを法の個別分野に適用する。第三部は第二部の議論をうけて規範的法理論をめぐる一般的な問題を検討する。法律問題の理解にとってゲーム理論の諸概念は有効であること,法規範の多くは社会規範の別個独立の社会規整力を制御する試みとして理解するのが最適であること,社会厚生に資する規範は多いが,害する規範も多く規範の価値は概ね歴史的偶然でしかないことが命題として導かれる。 | |
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1.序説:法と集合行為 第1部 非・法的集合行為のモデル 2.協力と規範生成のモデル 3.敷衍,反論,および代替的理論 第2部 法への応用 4.贈物と無償の約束 5.家族法と社会規範 6.社会的地位,スティグマ,および刑事法 7.投票,政治参加,およびシンボル行動 8.人種差別とナショナリズム 9.契約法と商行為 第3部 法への応用 10.効率性と分配的正義 11.比較不可能性,商品化,および金銭 12.自律,プライヴァシー,およびコミュニティ あとがき/索引 |
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日本語版へのまえがき エリク・ポズナー ある人が,他人に損害を与えたり,他人の期待を裏切ったりするような行動Xを行いたいと思っているとしよう。その行動Xとは,たとえば,お金を盗むとか,契約の履行をしないとか,脱税をするとか,といった行動である。しかし,その人は,当該行動Xを行いたいという気持ちを抑えることができるかもしれない。それにはいくつもの理由が考えられる。第一に,立派な良心を持っている場合がある。そうすれば,行動Xは悪いことだからやらない,ということになろう。あるいは,実行してしまうと罪の意識に苛まれることになるので,行動Xはやらない,ということもありうる。第二に,評判を気にしている場合がある。つまり,他の人々による評価が下がってしまうことを恥じて,行動Xを思いとどまることがある。第三に,法的制裁を恐れる場合がある。つまり,刑務所に入れられるとか,罰金や賠償金を払わされるとかいった法的制裁を回避するために,行動Xを思いとどまることがある。良心(罪の意識),評判(恥の意識),および法というこれら三つの要因は,近代国家の社会秩序を維持する上で,重要な役割を演じている。 * アメリカ合衆国の法学研究においては,とりわけ,法と経済学(law & economics)の研究においては,法や法的制裁が人々の行動に与える影響にもっぱら注目してきた。すなわち,そのような研究の典型的パタンにおいては,工場経営における利潤最大化などのように,何らかの目標を人々は持ち,法の課す制約条件だけを気にしながら自らの目標達成へ向けて努力する,というようなモデルを構築して分析してきた。つまり,工場経営者がどれだけの公害を出そうか出すまいかと決める際には,公害発生がもたらす私的な利益と,公害発生者に対する法的制裁の期待値(コスト)とを比較検討し,公害のもたらす私的利益が公害発生のもたらす期待コストを凌駕する場合にのみ,工場経営者は公害を出そうとする,というような分析である。このモデルでの工場経営者は,公害で損害を蒙る人々に対して罪の意識を感じることはないとされる。また,恥を感じることもないとされ,評判が傷つくという制裁を受けることを顧慮しないとされるのである。ここで評判に対する制裁とは,例えば,環境保護の意識の高い消費者たちが,経営者の悪しき行動に憤激して,当該工場の製品をボイコットするような場合に生じるビジネス上の損失などを意味する。 * このようなパタンの分析は,もちろん多くの利点を有している。たとえば,分析が明快で扱いやすいという利点がある。しかし反面,多くの生活領域において,罪の意識や恥の意識が,法的サンクションに優るとも劣らない影響力を人々の行動に対して有していることもわれわれはよく知っている。たとえば,アメリカ合衆国において人々は,脱税に対する法的制裁だけしか考慮しないと仮定した場合に予測されるよりもはるかに高い割合で税金を正直に支払っている。いいかえれば,人々は罪の意識や恥の意識を回避するために税金を正直に支払っているのである。 * その他の国々の中には,罪の意識や恥の意識がアメリカ合衆国におけるよりもさらに重大な役割を演じている国がある(と,少なくともアメリカ人は信じている)。たとえば日本人は,アメリカ人よりも法に違反することがはるかに少ないと一般に信じられている。そして,その理由は日本人が,恥をかくことをアメリカ人より気にするからであり,法や社会規範に違反した者に対して,村八分や除け者にするといった非・法的制裁をアメリカ人よりも科そうとするからであると一般に信じられている。公式の法によってではなく非公式の社会的制裁によって秩序が維持されているという社会イメージは,アメリカ合衆国においては非常に魅力的で望ましいものとされてきている。だからこそ,多くのアメリカ人にとって日本は素敵で理想的な国に見えるのである。 * しかし,アメリカ合衆国と日本とが対極に位置する社会であるという信念が正確だったとしても,すべての国において社会規範が人々の行動を基本的に規整しているという事実は動かない。また,法と社会規範の間の相互作用についてはあまりよく分かっていないという事実も動かない。したがって,ここでの問題は,「法の影響を受けるという行動モデルである経済学モデルに,罪の意識や恥の意識をどのように組み込めばよいのか」である。本書は,この問題の半分だけを検討するものである。すなわち本書は,恥の意識(評判)や社会規範の役割は,シグナリング・モデルと呼ばれる経済学理論を用いて分析することができることを明らかにする。本書は,問題の残る半分,つまり罪の意識の役割を分析しようとするものではない。罪の意識(良心)は恥の意識(評判)よりも分析が難しいものであり,経済学は罪の意識のモデル化にまだ成功しているとはいいがたい。 * ここで,本書の基本的考え方を明確化しておこう。本書では,行動が自分の評判にどのような影響を与えるかを考慮して,人々が行動を選択する仕方に注目する。たとえば,商品の売り手が,「粗悪品を売ると,もうお客が自分からは買ってくれなくなるかもしれない」と慮って,高品質の商品しか売ろうとしないかもしれない。つまり,この売り手は,良い評判を確立しようとしているのである。このような売り手は,粗悪品を売りつけることに対して法が制裁を科していようといまいと,良い評判を確立しようとするものである。このように日常生活で人々は,一般的に信頼に値する人間であるという評判を確立しようとするものであり,いいかえると,名誉を重んじて生きるものなのである。良い評判を持たない人とは,他の人々は付き合いたくないであろう。その結果,評判の良くない人は,結婚相手や,友達や,取引相手など,日常生活に必要な多くの集合行為・協力行動の相手方を見つけることが難しくなるであろう。 * もう少し厳密に定式化しておこう。人々は自分の個人的な特徴の多くについての,とりわけ,自分が「信頼に値する人間であるか」についての私的な情報を持っているとする。合理的な人々は,その割引率が小さいほど信頼に値する人間である。ここで割引率とは,その人が将来をどれだけ重視するかの指標であり,割引率が小さいほど将来の利得を割り引かないので,将来の利得を重視していることになる。繰返し囚人のディレンマ・ゲームにおいては,割引率が低いことが,協力的な結果のもたらされる必要条件であるから,割引率が小さいことと信頼に値する人間であることとが対応するのである。こうして,本書では,「良い評判」と,「信頼に値すること」,すなわち割引率が相対的に低いこととを対応させる。ある人の名誉とは,繰返し囚人のディレンマ・ゲームにおいて協力的な行動を採用する傾向に相当する。そして,割引率が小さくなるほど名誉は大きくなる傾向がある。逆に言えば,自分の割引率が大きいことが露見してしまった人は,「恥をかく」わけである。 * 恥をかくことを避けるために,そして,協力的であるという評判を高めるために,信頼に値する人々は自分の割引率が低いことを示す「シグナル」を発しようとする。ここでのシグナルとは,「良いタイプ」の人々,つまり割引率が低い人々なら実行できるが,「悪いタイプ」の人々には実行できないようなコストのかかる行動を意味し,この条件を満たす限りどのような行動でもシグナルたりうる。本書の中心的な考え方は,「社会規範」に命じられた行動であるとしばしば考えられているものが,実は,シグナリング競争の結果であるという考え方である。社会規範に命じられた行動とされるものには,例えば,祝日の贈り物の交換,挨拶のエチケット,ファッションやドレス・コード,ビジネスや政治における儀式,などがある。シグナリング競争とは,良いタイプの人々が,自分のタイプを明らかにしようとしてコストのかかるシグナル行動をし,悪いタイプの人々が,可能な限りで良いタイプのシグナル行動を模倣しようとして生じる競争のことである。そして,本書における社会規範とは,シグナリング競争がもたらす均衡での,人々の行動を指している。 * 若干わき道にそれるが,ここで確認しておきたいことがある。すなわち,本書では時間選好(割引率の高低)に注目しているが,それは,すべての社会規範が割引率と結びついているという立場を採っているからでは決してなく,単に分析の便宜のためであるという点である。事実,人々は,他者にとって価値のある多種多様な私的情報(たとえば,自分の知的能力についての情報)を有しているものであり,多くの社会規範は,そのような価値ある私的情報をシグナルするために創発(発生)してきた行動に対応しているのである。本書においては,時間選好にもっぱら注目するが,それ以外の特徴も同様に重要であることは忘れてはならない。 * シグナリング・モデルの有用性は,法と経済学における標準モデルと整合的であるという事実に起因する。人々が種々の可能な行動の中からある行動を選択する場合,当該行動のもたらす利益と比較検討するのは,(1) 法的制裁の期待値と,(2) 社会規範に対する違反がもたらす非・法的な制裁の期待値とである。後者の非・法的な制裁とは,割引率,すなわち,協力傾向についての情報に基づいて周囲から科される,村八分やその他の形態の忌避のことである。 * このような道具立てによって,法が行動に影響を与える次のような二つの異なる仕方を分析することができるようになる。すなわち,第一に,さまざまな種類の行為に対して報酬や制裁を付加することで,法は行動に直接的な影響を与える。第二に,人々が自己のタイプを開示しようと行動し合っているシグナリング均衡を変容させることで,法は行動に間接的な影響を与える。同一の法がこれら直接,間接の両方の影響を与えることもあり,その場合に,二つの影響が補強しあうこともあれば,相互に打ち消しあうこともある。たとえば,税法違反に対して大きな罰を科すような法は,税法遵守行動の持つシグナルとしての価値(自分が良いタイプであることを示す能力)を減殺してしまうかもしれない。このような法は行動に対して,法的制裁による直接的な影響力を高めるが,反面,社会規範の制裁の間接的な影響力を低下させることになる。いいかえれば,法的制裁を強化すると,社会規範が弱体化したり妨碍されたりしてしまい,望ましくない行動が抑止されるどころかますます多発するようになるかもしれないのである。このような,法的制裁と非・法的制裁の間の緊張関係というよく見られる現象こそが本書のテーマであり,以下の各章でその応用例が分析されてゆくことになる。 |
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関連書 〔「法と経済学」叢書1〕 「法と経済学」の原点 松浦好治編訳(名古屋大学法学部) A5判・230頁・3000円(1994年)ISBN4-8332-2194-2 ロナルド・コース=社会的費用の問題(新沢秀則訳) G・カラブレイジィ=危険分配と不法行為法(松浦好治訳) E・ミシャン=外部性に関する戦後の文献(岡敏弘訳) 本書は「法と経済学」と呼ばれる法学研究のアプローチの出発点となった基本的文献を収録し,その発想の原点を示す。 〔「法と経済学」叢書2〕 不法行為法の新世界 松浦好治編訳 A5判・180頁・2500円(1994年)ISBN4-8332-2195-0 R・ポズナー=ネグリジェンスの理論(深谷格訳) G・カラブレイジィ/メラムド=所有権法ルール,損害賠償法ルール,不可譲な権原ルール(松浦以津子訳) 1970年代から急速な展開を見せ始めた「法と経済学」研究は,アメリカ法学の有力な一学派を形成。70年代初期の代表的論文を収録。 〔「法と経済学」叢書3〕 法と経済学の考え方 ■政策科学としての法律学 ロバート・クーター著 太田勝造編訳(東京大学法学部) A5判・248頁・3000円(1997年)ISBN4-8332-2248-5 1.法と経済学での評価基準,価値観 2.法と経済学の基本定理:コースの定理 3.不法行為法,契約法,所有権法の総合モデル 4.インセンティヴ規整:行動の価格設定と制裁 1.と2.は法と経済学の基礎理論,3.と4.で民事法から刑法までカヴァーするクーターの統一的見地を提示する。 |
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目次 第T部 導入 1章 序論:本書のモデル・構成・見方 2章 方法:日本における利益団体研究とJIGS調査の意義 3章 概観:市民社会の政治化と影響力比較 第U部 日本の政治過程と市民社会組織・利益団体 4章 団体プロフィール 5章 地域空間論 6章 団体−行政関係 7章 団体−政党関係 8章 ロビイング 9章 地球化と世界指向団体の登場 第V部 比較の中の日本:社会過程・政治体制と市民社会組織 10章 比較の分析枠組み 11章 制度化・組織化・活動体 12章 歴史的形成 13章 団体のリソース 第W部 全体的な分析と結論 14章 現代日本市民社会の団体配置構造 15章 結論 |
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はじめに |
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文責…………………………………………………………………辻中 豊 (実際の「はじめに」とは内容が異なります)
本書は,一連の比較市民社会組織・比較利益団体分析の出発点をなす書物である。 続卷
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■外来民問題の文脈で 戦後西ドイツは敗戦で喪失した領土からの外来民の流入。外国人労働者の導入。難民受入等多くの課題を抱えた。その特有の社会構造と政策転換の変動に百五十年に及ぶ統一ドイツ国家形成の真の姿を見る。 はしがき 1章 ドイツにおける外国人・外来民問題の歴史的展開 2章 ドイツ統一前後の外国人の生活実態:職業と所得を中心に 3章 世紀転換点のドイツにおける外国人の生活実態:2章への補論 4章 ベルリンのトルコ人青少年の生活状況と意識 5章 統一ドイツにおける庇護申請者・難民問題の動向と実態 6章 ドイツにおけるアオスジードラー問題の系譜と現状 7章 戦後ドイツ史の中のユーバージードラー | |
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はしがき 40年以上に及んだ分裂に終止符が打たれ、ドイツがようやく統一したのは、今から10年少し前のことである。本書はその統一ドイツが抱える主要問題のひとつである外国人問題を歴史的背景に重点を置きつつ検討したものである。 外国人という概念は、ある国に居住しているか、あるいは旅行などで短期滞在しているが、その国の国籍をもたない人の総称である。したがってそれは何よりも法的な側面に着目した概念であり、外国人問題とはそうした外国人が国内に受け入れられ、居住することに伴って派生する諸問題を一括したものと考えてよい。 しかしながら、ドイツの現実に即してみた場合、単数形で表される外国人問題という言葉の内実は極めて複雑で変化に富んでいることに気づく。この言葉で思い浮かべられるのはかつては外国人労働者であったが、彼らが家族と暮らすようになってからは女性や子供が増えたために労働者という限定は外れたし、庇護申請者が大量にドイツに流入するようになると、難民というイメージが付け加わったからである。 それだけではない。外国人労働者が家族とともに定住するようになった段階で、彼らには生活の本拠をドイツに移したという意味で移民という語も使われるようになり、異なる文化的背景を有する外国人との共生を目指すべきとする立場から多文化社会の構想が唱えられるようにもなった。そこではドイツは移民社会として描かれ、彼らを外国人にとどめて内国人から法的・制度的に差別し排除するそれまで自明視されていた法的・社会的諸制度が批判を浴びるようになったのである。しかし、周知のように、ドイツは彼らをドイツに永住する将来の国民としてではなく、一時的な出稼ぎ労働者として受け入れを開始し、ドイツ社会への彼らの編入についても何の用意もなされていなかった。そのため、彼らが移民化するのに伴い、後追い的に種々の政策が打ち出されるようになったが、彼らを移民ではなく外国人として扱う方針は堅持されてきている。多数の外国人が定住して働いているドイツはいわば統計上は移民国になっているが、法的・政治的には依然として移民国ではないのであり、移民国に生じる問題に加え、このギャップが外国人問題を複雑化しているのである。 しかし問題はこれにとどまらない。ドイツにおける外国人問題を考える場合、法的な意味での外国人にのみ視線を向けていたのでは、問題自体の重さも量れないし、その構造も十分には見えてこないと思われるからである。 トルコ人やイタリア人の子供や青少年のように、今日のドイツに定住している外国人のなかにはドイツ生まれの2世、3世が多数含まれているが、1世に当たる人々は外国人労働者としてドイツの域外から来て住み着いた人々が多い。その面では数十年以前にドイツではかなりの規模の人口の国外からの流入があったことが明白だが、しかし外部から流入したのは外国人労働者だけではなかった。そして外国人労働者が成長するドイツ経済が必要とする労働力として受け入れられたのと同様に、そのほかの集団もドイツ経済の発展を支え、とりわけ戦後の苦難の時期から奇跡の高度成長の頃まで労働力を供給したのである。 この観点から戦後ドイツの歴史を振り返ると、敗戦後、アメリカ、イギリス、フランスに占領された西側の3占領地区とソ連占領地区との亀裂を引き金とする1949年の「二重の建国」により連邦共和国として出発した西ドイツには、1945年の敗戦以降、膨大な量の人口が流入した。従来のドイツの東部領土から流れ込んだ避難民・追放者、ソ連・東欧圏からのアオスジードラー、東ドイツを離脱してきたユーバージードラーなどがそれである。その総数は統一の年1990年までで1500万人以上にも達している。これは同年の西ドイツの人口の4分の1に相当する。これに加え、1990年の西ドイツには480万人の外国人が居住していたから、単純化して言えば、その時点での西ドイツの人口の3分の1が国外からの移住に関係していたといえよう。第二次世界大戦後の時期に限ると、イスラエルを除き、先進国に数えられる国でこれほど移住によって人口が構成されている国は存在しない。その点で、西ドイツは、そして統一後のドイツも、アメリカやカナダのような古典的移民国をも凌駕する移住者の国になっているのである。 戦後ドイツにかかわるこの基本的事実を念頭に置き、さらに外国人労働者の導入がユーバージードラーの激減とともに本格化したことなどを考慮するなら、その他の集団を度外視して外国人問題のみに焦点を当てるのは視野狭窄に陥る危険があると言わねばならないであろう。また同時に、ユーバージードラーやアオスジードラーなど外国人以外の集団が西ドイツないし統一ドイツに流入するのは、ドイツ現代史に直結する背景があるからにほかならないことも留意されるべきであろう。そのことを理解するには、東ドイツからの脱出が文字通り東西冷戦の文脈の中で生起した事象であることを想起すれば足りる。公式に把握されているだけでも2000年の時点で740万人にも達し、そのほかに統計に算入されない外国人季節労働者や実数の不明な不法移民などを加えればこれを上回る外国人の存在は、確かに規模の面からだけでも大きな問題となる。 なぜなら、多年にわたってドイツに定住している人々がそのなかに多数含まれているのに、彼らが依然として外国人という法的地位にあることをその数字はまずもって示しているからである。この点を考慮すれば、事実上移民として生活している外国人が本書の中心に据えられるのは当然である。しかし外国人問題の全体像を把握するためには、他の集団をも射程に入れ、それらの歴史的背景にも検討を加えることが必要とされよう。この観点から、外国人はもとより、戦後西ドイツもしくは統一ドイツに国外から流入してきたすべての人々を総称する言葉として本書では外来民という語を用いることにしたい。つまり、外国人問題を中心に据えつつ、これを外来民問題という枠組みの中で考察することが本書の課題なのである。 こうして標題にある外国人問題よりは広く外来民に光を当てることを本書は狙いとするが、そうしたアプローチは移民法制定が現実味を増している近年のドイツの実情を考える際には欠かせないものといえよう。少子・高齢化による人口変動が早晩、生産年齢人口の縮小を招き、年金制度をはじめとする高福祉の社会保障システムの見直しが不可避になっている現在、従来とは異なり、包括的視点に立つ外来民の受け入れは与野党を問わないコンセンサスになってきているからである。換言すれば、様々のカテゴリーからなる外来民を統一的な構想の下に把握し、いかなるタイプの人々をどれだけ、またどのようにして受け入れ、受け入れた後はどのように処遇するかが昨今の主要テーマになっているのである。 こうした近年の動向を適切に把握するためには、しかし、外来民を構成する種々のカテゴリーの集団を検討しておくことが不可欠であろう。またその際、それぞれの集団がなぜ、どのようにして、どれほど受け入れられてきたのかを理解するには歴史的角度からの検討が必要とされよう。一例としてアオスジードラーをとれば、彼らがドイツに受け入れられてきたのは、しばしば誤解されているように、単にドイツ人の血を引いているという理由によるだけではないからである。こうした観点から本書の第5章以下ではユーバージードラーや庇護申請者などが個別に扱われているが、全体の流れを鳥瞰するために、ドイツにおける外来民の歴史が第1章でスケッチしてある。18世紀から19世紀のドイツからのロシアやアメリカへの移民についてはかなりの研究蓄積があり、19世紀末から第二次世界大戦終結までドイツで就労した様々なタイプの外国人労働者に関しても研究が進んでいるが、改めて断るまでもなく、本書では統一ドイツにおける外国人を中心とする外来民の考察に主眼があるので、スケッチとはいってもその視点からなされている。そのため、第二次大戦以後についてはやや詳しく説明されているのに対し、それ以前についてはかなり簡略になっていることを付言しておきたい。 ところで、第1章と第3章以外は1995年以降主に『社会科学論集』(愛知教育大学社会科学会)に発表した論文から本書は構成されている。いずれのテーマについても発表後に新たな研究や資料類が公刊されている。しかしそれらの成果を組み入れるには大幅な書き直しが避けられなくなることや、大筋では改める必要が感じられないので、基本的には部分的な補正を行うにとどめた。なお、ドイツの外国人問題に関しては、現状分析的な論考として、『社会科学論集』に外国人高齢者の現状や外国人犯罪とクルド労働党(PKK)に代表される過激派に関する論文をはじめとして、極右勢力、排外暴力を主題とする論文、さらにソルブ人のような土着のマイノリティに関する論文などがこれまでに発表してあり、また外国人に関わる主要なデータも集めて掲載してあるので、本書を補足する意味で参照していただきたいと思う。本書では重要と考えられるテーマのみを扱っているが、外国人に対する様々な場での差別や選挙権問題に見られる政治参加、さらには人口変動との関連など論じるべき問題は多々残されている。その意味では本書は未完であり、残る課題との取り組みは他日を期したいと思う。 振り返れば、はっきりとした見通しのないまま、本書のようなテーマに手をつけてから既に10年が経過した。第6章の原型になったアオスジードラーに関する小論をボンで暮らしていた1991年秋に書いたのが最初である。当時、難民問題が深刻の度を加えていたが、それと並んでアオスジードラーの問題も身近に感じられた。例えばギムナジウムに通った息子の親友になったのはカザフスタン出身者であり、両親は強い訛りのあるドイツ語を話したが本人は最初はほとんど話せず、ドイツ語が十分にできない生徒の特別クラスに入っていたために息子と親しくなった。また基礎学校に通ったもう一人の息子の場合、20人ほどのクラスには遊び時間になるとロシア語でおしゃべりする3人の子供がいた。 こうした事情も手伝い、この集団に興味を覚えたが、それに加え、翌年には基本法の庇護権規定改正が焦点に押し出されたので極右や難民問題に関するレポートも執筆するようになり、外来民の問題へと関心が広がっていったのである。無論、その間に住まいから遠からぬ空き地に多くのコンテナを金網の柵で囲った難民収容施設ができたことや、東ドイツから来たユーバージードラーの人と知り合ったことなどが関心を強めたのはいうまでもない。 ともあれ、このような形で本書をまとめるまでには多数の方々から助言や協力をいただいた。特に2000年の春から夏にかけて滞在したオスナブリュック大学移民・異文化研究所(略称IMIS)では快適な研究環境を提供していただいた。バーデ、ヴェンツェル両教授、マルシャルク博士をはじめ、研究所の方々に心から感謝したい。また連邦政府、州政府などの関係官庁や、とりわけ連邦、州、自治体の外国人問題特別代表部、さらに多くの研究機関や民間団体からも資料面で多大の援助を受けることができた。担当者の方々のお名前を一人一人記すことはできないが、この場でお礼申し上げたい。名古屋では定期的に中部ドイツ史研究会が開かれているが、そこに集うドイツ社会史、思想史などを専攻する友人たちからは、日頃から鋭い刺激と暖かい励ましを受けている。大学が転機に立ち、会議などで繁忙になる中、そうした緊張感のある場が研究の活力源の一つになっていることを改めて感じている。 出版事情は一向に改善の兆候が見えないといわれるが、にもかかわらず、本書のような地味な研究の出版を前著に引き続き、今回も木鐸社に引き受けていただいた。本書の出版の意義に理解を示された同社、とりわけ前回同様多大のお世話になった坂口節子さんには衷心より感謝申し上げる次第である。なお本書の出版に当たっては平成13年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の交付を受けた。 最後になったが、本書の研究の途上では次々に手元に届く資料との取り組みに忙殺されていたので、生活時間の面をはじめ家族の一員としては問題行動が多かったと痛感している。そうした著者の我が儘に寛大に応対してくれ、研究を支えてくれた妻和子と子供たちに反省と感謝を込めて本書を捧げたいと思う。 2001年9月 |
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■民主化途上体制崩壊の分析 第一章 民主化途上体制崩壊を分析する仮説 第二章 民主化途上体制による統治:一九一八年〜一九三二年 第三章 体制変動論に基づく分析 第四章 政治制度からの影響 第五章 民主化途上体制 一九一八年〜一九二六年:政党内閣の優位 第六章 民主化途上体制 一九二六年〜一九二九年:軍部の挑戦の開始 第七章 民主化途上体制 一九二九年〜一九三二年:危機と体制の崩壊 第八章 結論 1918年に成立した我が国の政党内閣の政治体制を民主体制でも権威主義体制でもない民主化途上体制と規定し,ハンティントン等の手法を用いた比較政治学による民主化論・体制変動論の枠組で捉え,その崩壊原因を分析する政治理論史的考察。 | |
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■ドイツ教養官僚の淵源 本書の課題は。M.ウェーバーの「教養人(文化人)型」官僚(文士と官僚の結合)から「専門人」型官僚(文士と官僚の対立)へという普遍史的転換を,後期中世から二十世紀初頭までのドイツにおける官僚の歴史を辿り,その諸相を考察する。 その際,ウェーバーのいう「専門能力」ないし「有用なもの」に対する視線,「権威」(社会的威信)という要素,「民衆」との差異と繋がり,「内面」=「個性」の意識と「外面的」=「職業」の独立可能性の関係に特に注目する。 | |
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本書の目次 序 第一部 学識 第1章 学識と官僚 1学識官僚――権威と業績 2学識貴族 3文と武 第2章 詩と官僚 1人文主義と学識 2詩と業績 3バロックの文書官僚 第3章 学識の凋落 1廷臣 2学識批判 3絶対主義官僚 第4章 新学識者 1学識者概念と学識内容の転換 2「市民的」実用性 3「哲学」と実践 第二部 文芸 第5章 知の器 1啓蒙の結社――私的公共性の成立 2読書の世紀 3文芸の興隆 第6章 ヤヌス 1強いられたヤヌス 2「好きなだけ論議せよ。ただし服従せよ!」 3「公」と「私」と「秘密」 第7章 官僚と文芸的公共性 1虚構の法廷 2立法の法律家と国家権力の代理人 3文士と官僚の統合 第三部 大衆 第8章 啓蒙とエリート 1「真の啓蒙」と「民衆の啓蒙」 2啓蒙の蹉跌 3「官」の論理 第9章 通俗と反俗 1哲学の反転 2文芸と民衆 第10章 対決の構図 1啓蒙主義とロマン主義 2文芸の構造転換 第四部 教養 第11章 学識者から教養人へ 1伝統・革新・十八世紀 2脱身分と新身分 3概念の再転換 第12章 教養官僚から法科官僚へ 1木鐸集団としての官僚 2法科官僚 3専門知と教養知 第13章 文士と教養 1パンと教養 2新文芸の挑戦 3未完の対立 あとがき 図版出典一覧 索引 |
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■国際政治における権力と規範 本書は「国際政治における権力と規範」を分析の基本に据え,米国による大戦後の戦争処罰計画の一環として東京裁判を位置づけるもので,多国間の国際関係を総合的・体系的に分析する国際政治の文脈から,東京裁判を捉え直す。引証基準として,ベルサイユ条約,ニュルンベルク裁判を置き,従来のイデオロギー性を排し,一次資料の綿密・丹念な検討による実証的立論は画期をなすものである。 | |
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目 次 序 章 問題の所在 第一節 東京裁判論の軌跡 第二節 課題と視角 第一章 国際軍事裁判成立の政治過程 第一節 第一次世界大戦と戦犯処罰構想 一 戦争犯罪の概念 二 ヴェルサイユ条約の戦犯条項 第二節 第二次世界大戦と戦犯処罰構想 一 連合国指導者の声明と外交当局 二 連合国戦争犯罪委員会の思想と行動 第三節 戦時中における合衆国の政策決定 一 1944年秋の論争 二 陸軍省の計画策定 第四節 国際軍事裁判の成立 一 国際交渉の局面 二 国際合意の形成 第二章 対日基本政策の決定過程 第一節 対日基本政策の胎動 一 関係政府と日本問題 二 天皇処遇問題 第二節 対日基本政策の決定 一 合衆国の基本政策 二 英連邦と国際裁判 三 極東委員会の政策決定 第三節 判事任命問題と裁判所構成国の条件 一 合衆国の判検事指名督促 二 インドの判事指名要求 第三章 検察側と弁護側の裁判準備 第一節 起訴状作成の政治過程 一 容疑者逮捕と日本の対応 二 国際検察局の始動 三 各国検察陣の参加 四 起訴状の成立 第二節 弁護側成立の政治過程 一 日本政府と弁護側 二 アメリカ人弁護人 第四章 公判と国際関係 第一節 検察側立証 一 検察側の対立構造 二 公判の長期化 第二節 弁護側反証 一 弁護側の対立構造 二 個人段階 第五章 判事団の権力状況 第一節 判事辞任問題 一 合衆国代表判事の交替 二 裁判初期のインド判事 第二節 判決作成の政治過程 一 判事団の対立構造 二 イギリスの役割 三 多数意見の成立 第三節 パル判決再考 一 パル判決の特質 二 イギリスとインド 第六章 判決をめぐる政治力学 第一節 多数判決の構造と反響 一 判決の特質 二 判決の余波 第二節 判決諮問会議と関係政府 一 別個意見と米英の立場 二 諸政府の答申 第三節 合衆国最高裁判所と東京裁判 一 人身保護令状の訴願 二 最高裁判所の結論 第七章 戦犯裁判終結の政治過程 第一節 ニュルンベルク裁判以後を見すえて 一 引照基準としてのドイツ占領政策 二 国際環境の変動と政策転換 第二節 東京裁判以後を見すえて 一 「国際裁判」と「継続裁判」と 二 戦犯裁判終結論の噴出 三 幻影としての「国際」裁判 第三節 極東委員会と戦犯裁判終結 一 「FEC314」と諸政府の利害 二 決定と執行 終 章 国際政治における権力と規範 第一節 東京裁判の影響 一 国際軍事裁判成立の諸力 二 戦争抑止の法的効果 三 裁判の心理的効果 資 料 被告略歴 参考文献 略語一覧 人名一覧 人名索引 |
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| 行政法学の基礎的問題について、そのよって立つ理論的基盤 を明らかにしようとしたもの。とりわけ従来唱えられてきた行 政法学上の諸理論が何について如何なる見地から論じられてい るかを徹底的に分析検討する。1978年刊行以来品切状態であっ たがこのたび柳瀬良幹博士の行政法学をめぐる論文と座談会を 追加増補した。 | |
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目次 はしがき 序章に代えて―昭和44年度学界展望より 第一篇 公法と私法 T 裁判規範と行為規範 ―高柳教授の行政法学の理論構造に関する疑問 U 行政法理論体系の成立とその論理構造 V 行政主体の概念について W 行政行為の分類学 第二篇 行政法学と方法論 T 行政法学における法解釈方法論 U 柳瀬博士の行政法学 V 柳瀬良幹とハンス・ケルゼン 第三篇 行政法学と“動態的考察方法” T 現代裁判本質論雑考 U 行政行為の瑕疵論におけるいわゆる“手続法的考察方法”について V 行政法解釈論における二元的“手続法的考察方法”論の意義 W 法現象の動態的考察の要請と現代公法学 附論 柳瀬行政法学の背景 座談会 柳瀬良幹,塩野宏,樋口陽一,藤田宙靖 あとがきに代えて―行政法学と私 |
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| 本書は従来とかく等閑視されてきた法と政治の関係を正面から捉え,しかもそれをドグマティックにではなく,統治行為という実定法理を支点としながら,実証的・経験的に両者の関係を解明しようとしたもの。 | |