| 現代日本政治分析のフォーラム |
| この数年,日本の政治学界には新しい流れが生まれています。本誌はこの新しい流れの学問的コミュニティに一つのフォーラムを提供し,一層旺盛な批判と反批判の場を作ることで,政治学研究を活性化することを狙いとしています。 創刊号から21号までは,現在顧問として大所高所から,見守って下さっている方々が担いました。現在はいわば二代目世代に属する名実ともに第一線で活躍中の研究者が各号を担当しています。 また書評欄を充実させ,批判と反批判という本誌の狙いをより鮮明にするよう心がけております。 先ずは各委員のプロフィール,次に最新号から特集テーマと執筆者という順序でご紹介しましょう。『朝日新聞』2007年8月23日付朝刊で小誌20年の歩みを紹介(大室一也氏執筆) 新たに増山幹高教授が書評委員として参加されました(08年6月20日更新)。 |
| (公共政策論文公募) |
| 東大・イェール大2大学交流事業のため,現在イェールに滞在中の加藤委員より素敵なクリスマスツリーの写真が届きました。加藤氏のご了解をいただきましたので公開致します。皆様にもお楽しみ下されば光栄です(07-12-22)。 | |
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猪口 孝教授 中央大学法学部 | 政治学・国際関係論の実証的研究,その体系化に努め,現在Japanese Journal of Political Scienceの編集長として活躍中 |
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大嶽秀夫教授 同志社女子大学 | 細川政権以来日本の政治は激動期に入った。この現状と行末を分析・予測することが政治学者の課題だ。また具体的な政策提言や決定への参与も求められている。これらの課題に応え,社会的責任を果す為にも本フォーラムの提供は必要である。 |
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蒲島郁夫教授 東京大学法学部 | 後ほど原稿送ります |
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村松岐夫教授 学習院大学法学部 | 国公立大学 の法学部系政治学者は,法科大学院が設置されるなら,法学部教育の一環であった政治学はどこに行くのか。直接の職業と結びつくような専門大学院をつくるのか,学部レベルで良き市民のための教育をするのか。研究者はどのようにして生まれるのか。我々は今,どこに棲むのかの選択を迫られているような気がする。 |
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加藤淳子教授 東京大学大学院法学政治学研究科 | より多くの投稿を期待しています。 |
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川人貞史教授 東北大学法学部 | 独創的なアイディアをもとに注意深く仕上げたすぐれた論文をたくさんレヴァイア サンに掲載したいですね。 |
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辻中 豊教授 筑波大学社会科学系 | 現代政治に関して,政治学者の「なぜ」ではなく,他の社会科学者やふつうの市民の 「わからない!なぜ?」に,応え答えうる編集に努めたい。 |
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真渕 勝教授 京都大学法学部 | 分権改革や中央地方関係をテーマに特集を組めないものか考えている。比較研究の重要さが認識されるにつれて,同質的な一定の数のNが期待できる「地方」 は,絶好のフィールドとなってくるはずである。投稿を待つ。 |
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久米郁男教授 早稲田大学政治経済学部 | 後ほど原稿送ります |
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河野康子教授 法政大学法学部 | 後ほど原稿送ります |
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古城佳子教授 東京大学総合文化研究科 | 論争的な書評を歓迎しますので,どしどし投稿してください |
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田中愛治教授 早稲田大学政治経済学部 | すごいと思う本に出会うことがたまにあるが,そういう本を一つでも紹介できれば本望だと思う。 |
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田辺国昭教授 東京大学大学院法学政治学研究科 | 後ほど原稿送ります |
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増山幹高教授 慶應義塾大学法学部 | 新入りです。よろ しくお願いします。 |
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三宅賞の目的は,現代日本政治研究の分野において,過去一年間に出版された論文の中から優れた作品に与えられるものです(賞金20万円)。今回の審査は2006年10月1日から2007年9月30日までに出版された論文を審査いたしました。
次の論文を,2008年度三宅賞として決定しました。 Shuhei Kurizaki,“Efficient Secrecy: Public Versus Private Threats in Crisis Diplomacy,”American Political Science Review, Volume 101, No.3 ,pp. 543-558, August 2007 本論文は,国際政治外交の分野で,きわめて斬新な発想で,公的外交の外で行われる外交の有効性を分析しています。Shuhei Kurizaki氏は,日本からアメリカの大学院に留学され,UCLAで博士号を取得し,現在Texas A& Mで助教授(アシスタントプロフェッサー)をしておられます。 栗崎氏の論文で用いられているゲームモデルは,研究課題を見事に解き明かすだけでなく,他の課題にも適用可能な汎用性の高いものであります。さらに,外交史の知見を利用しながら,モデルから導出された仮説をうまく検証しております。 選考委員会は満場一致で決定しました。 (文責 村松岐夫) 選考委員 猪口 孝/ 大嶽秀夫/ 蒲島郁夫/ 村松岐夫 |
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三宅賞の目的は,現代日本政治研究の分野において,過去一年間に出版された論文の中から優れた作品に与えられるものです(賞金20万円)。今回の審査は2005年10月1日から2006年9月30日までに出版された論文を審査いたしました。選考委員会の慎重な審査の結果,第10回三宅賞については委員の合意が得られませんでしたので,該当作なしと決定いたしました。(文責:蒲島郁夫) 選考委員 猪口 孝/ 大嶽秀夫/ 蒲島郁夫/ 村松岐夫 |
| 三宅賞は,三宅一郎氏のご厚意により設立されたものです。三宅賞の目的は,過去一年間に出版された論文の中から優れた作品に与えられるものです(賞金20万円)。今回の審査は2004年10月1日から2005年9月30日までに出版された,日本人政治学者による論文を審査し,選考委員会の慎重な審査の結果,第九回三宅賞は以下の論文に決定いたしました。 |
| Imai, Kosuke. (2005). "Do Get-Out-The-Vote Calls Reduce Turnout? The Importance of Statistical Methods for Field Experiments." American Political Science Review, Vol. 99, No. 2 (May), pp. 283-300. |
| 本論文は, 三宅賞にふさわしい政治学方法論に関する論文です。この論文に加え,著者の研究成果の旺盛な海外発信を評価し,選考委員満場一致で受賞作と決定しました。 (文責:蒲島郁夫) |
| 選考委員:猪口 孝・大嶽秀夫・蒲島郁夫・村松岐夫 |
| 2006年7月10日IPSA福岡大会にあわせ今井氏は米国プリンストンより来日,三宅先生ご夫妻,選考委員,書評委員,パネル参加者も出席され(猪口邦子大臣もご挨拶にみえられ),初めて英語で授与式と昼食会が行われました(その時のスナップです)。 | ||
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| 三宅御夫妻 | 今井耕介氏 | 三宅夫人 |
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| 三宅御夫妻 | 今井耕介氏・田中愛治氏 | 三宅御夫妻と過去の受賞者 |
| 三宅賞は,三宅一郎氏のご厚意により設立されたものです。今回の審査は2003年10月1日から2004年9月30日までに出版された論文を審査し,選考委員会の慎重な審査の結果,第八回三宅賞は以下の論文に決定いたしました。 |
| 池田謙一「2001年参議院選挙と『小泉効果』」,日本選挙学会2003年度年報『選挙研究』 2004, No.19, 29-50. |
| 本論文は,2001年参院選における自民党勝利と「小泉効果」の関係を計量的に分析したものであり,三宅賞にふさわしい優れた実証研究です。この論文に加え,研究成果の旺盛な海外発信を評価し,選考委員満場一致で受賞作と決定しました。(文責:蒲島郁夫) |
| 選考委員:猪口 孝・大嶽秀夫・蒲島郁夫・村松岐夫 |
| 2005年5月11日三宅先生をお招きして授与式が行われました | ||
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| 蒲島氏 | 池田氏と三宅先生 | 池田氏 |
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三宅賞の目的は,現代日本政治研究の分野において,過去一年間に出版された論文の中から優れた作品に与えられるものです(賞金20万円)。今回の審査は2002年10月1日から2003年9月30日までに出版された論文を審査いたしました。選考委員会の慎重な審査の結果,第七回三宅賞については委員の合意が得られませんでしたので,該当作なしと決定いたしました。(文責:蒲島郁夫) 選考委員 猪口 孝/ 大嶽秀夫/ 蒲島郁夫/ 村松岐夫 |
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| 第6回三宅賞は増山幹高氏(慶應義塾大学)「国会運営と選挙:閣法賛否の不均一分散 Probit 分析」『選挙研究』16号,2001年に与えられました(5月13日)。 | |
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| 〔特集の狙い〕ポピュリズムの比較研究に向けて |
| (文責 大嶽秀夫) |
| 2001年春の小泉・眞紀子旋風と2005年郵政選挙での小泉圧勝によって,日本の政治や政治学において,ポピュリズムの語がにわかに流行し始めた。ほぼ同時期に,韓国,台湾,タイなどでも,新政権の特徴を指摘する概念としてポピュリズムの用語が使われた。また若干溯って,レーガン,ペロー,ブッシュJr,あるいはエリツィンについても,そのポピュリスト的手法が指摘された。(なおプーチンは,ポピュラーではあるが,ポピュリストではない,というのが本号の執筆者,下斗米の見解である。)このように,近年の政治現象を指す言葉として,ポピュリズムの語が復活した。これらの例をみると今日の政治学では,ポピュリズムはトップ・リーダーないしその候補者の政治戦略,すなわち政党や議会を迂回して,有権者に直接訴えかける政治手法going publicの意味で主として使われていることが分かる。 現在のポピュリズム政治の流行は,ソ連の崩壊,西側の社会主義運動の解体による左右対立の急速な消滅とほぼ時を同じくしている。そしてその対立軸に代わるものとして,エリート対「大衆people」という対立図式が世界各国で(再)登場したものとみることができる。娯楽性を増したテレビの政治報道に依拠しながら,である。日本,韓国,台湾,アルゼンチン,米国,ロシアなど,本号で取り上げた国々においては,中心的争点は基本的に,政治腐敗に対処すべき「政治改革」であり,強まる政治不信・政党不信,政府(官僚)不信を背景に「アウトサイダー」政治家が人気を博するポピュリズム政治が登場している。この時期のポピュリズムは,ネオリベラリズムの登場と時を同じくしており,両者のイデオロギーには共鳴する部分が多い。しばしば「ネオリベラル・ポピュリズム」と呼ばれるのはそのためである。ロッキード事件後の新自由クラブの登場で始まり,小泉純一郎首相(石原慎太郎東京都知事)に至るまで,断続的にポピュリストの「パルス」をみた日本政治は,その典型的な一例といってよい。 振り返ってみると,ポピュリズムは,政治学および歴史学の分野における学術用語としては,19世紀末ロシアのナロードニキ,19世紀末から20世紀初頭にかけての米国の農民運動,そして1930年代から50年代にかけての南米諸国(とりわけメキシコ,ブラジル,アルゼンチン)の大衆動員型政権という,三つの相互に全く異質な政治現象を指す言葉として用いられてきた。これらを古典的ポピュリズムという。 その後,第二次大戦後の発展途上国について,ポピュリストのラベリングが,明確な定義付けもなく,広く用いられるようになった。ナセル,ガンジー,毛沢東などがその例である。これに対し,先進諸国では「イデオロギーの終焉」とともに,ポピュリズムも,ファシズム同様,既に過去のものとなった観があった。ところが「ネオ・ポピュリズム」と呼ばれる急進的右翼政党が,1980年代,まずフランスで(ルペンの国民戦線),ついでオーストリアで(ハイダーの自由党)登場した。多くの場合,共産党の衰退にあわせて,それとの交替を告げるように,である。さらに1990年代には,急進的ポピュリズム運動の波は,西欧各国から,ポスト・コミュニズムの東欧諸国にも広がった。加えて,左翼の側でもよく似たレトリックを用いる過激な運動が,フランスなどで(反クローバリズム,反WTOを掲げて)農民運動を指導したジョゼ・ボヴェを代表に登場した。これら極右,極左の運動は多かれ少なかれ代議制民主主義に対する不満を表明し,直接民主主義の「復活」を目指す。制度・レジームとしの民主主義に対抗して運動としての民主主義を掲げているという意味で,ラディカルである。権威主義への傾斜の危険を内包してもいる1970年代後半に米国で,カリフォルニアから始まった反税運動も同じ系列に属する(下からの)ポピュリズムである。 こういった事情から,ポピュリズムの語は,極めて多様な政治現象を表現することとなり,概念上の混乱が著しい。しかし,次の三つのレベルに大別することが可能である。すなわち,@政治体制regime(ラテンアメリカの政治システム)A政治戦略(現代の多くのポピュリスト指導者たちの政治手法),B政治運動(ヨーロッパの急進主義運動)がそれである。そして,これらの異なるレベルに共通するのは,ポピュリスト・イデオロギーであるというのが,筆者の理解である。 ポピュリズム・イデオロギーの内容が何であるかについては,本号の大嶽論文の検討に譲るが,かなり明確な価値体系,イデオロギー体系を共通してもつことは否定できないように思われる。ポピュリズムはイデオロギーを欠いているとしばしば指摘されるが,欠けているのは政策上の体系的プログラムである。社会主義,ネオリベラリズムあるいはファシズムなどと比較した場合,それ自体としては,政策的なオリエンテーションを持たない。それ故,社会主義とも,ネオリベラリズムとも,人種差別主義とも結合しうるのである。前述の「ネオリベラル・ポピュリズム」はその一つである。 本号では,21世紀の今後においても一つの重要なタイプとなるであろう,以上のような政治指導を比較政治学的観点から,考察してみたい。 ところで政治理論としてみた場合には,先の@の体制論としてのポピュリズムは,ラテンアメリカのケースが典型であるが,体制論,国家論という観点から,ポピュリズム政治と社会,経済との総体的関係についての認識が議論の対象となって,深く豊かな理論的蓄積を行ってきた歴史がある。多くの場合,マルクス主義ないしはマルクス主義的認識と結びつきながらである。この場合,ポピュリズムという認識枠組みは,単にモデル・パターンの提示(すなわちパターン認識)にとどまらず,(歴史的)因果関係についての理論,ないしは(ポピュリズム国家のもつ)機能についての理論命題を同時に含むものであった。理論的水準が高いのである。 他方,A,Bの政治戦略ないし運動としてのポピュリズムという認識枠組みは,しばしば社会心理学や大衆社会論,あるいは階級論などの理論を含むが,未だ充分に理論化されてきているとは言い難い。 本号の大部分の論文は,そうした理論構築を目指す第一歩と位置づけられるもので,分析的というよりは,記述的なものにとどまっている。急速に展開する現代政治を,いわば生ものとして扱う「ウォッチャー」としての政治学者の一つのスタンスを表現していると言えなくもない。これらを素材に,理論的考察を比較政治の場で展開することが,われわれの今後の課題である。 |
| <特集>ポピュリズムの比較研究に向けて 目次 | |
| <特集論文> | |
| ポピュリスト石原都知事の大学改革 | 大嶽秀夫 |
| 東京都立大学から首都大学東京へ | |
| ポピュリズムの中の「歴史認識」問題 | 木村 幹 |
| 日韓の事例を中心に | |
| 台湾の民主政治とポピュリズム | 松本充豊 |
| 李登輝と陳水扁の政治戦略の比較 | |
| アルゼンチンにおける「制度化されたポピュリズムの形成?」 | 篠ア英樹 |
| メネム政権における政権党内の中央地方関係からの再考 | |
| アメリカ政治のポピュリズム | 五十嵐武士 |
| ロシア下院議員選挙とプーチン政治体制の変容 | 下斗米伸夫 |
| <書評> | |
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秋吉貴雄著『公共政策の変容と政策科学: 日米航空輸送産業における二つの規制改革』有斐閣,2007年 |
秋月謙吾 |
| 服部龍二著『幣原喜重郎と二十世紀の日本−外交と民主主義』有斐閣,2006年 | 井上寿一 |
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竹中治堅著『首相支配−日本政治の変貌』中公新書,2006年 内山融著『小泉政権−「パトスの首相」は何を変えたのか』中公新書,2007年 大嶽秀夫著『小泉純一郎 ポピュリズムの研究−その戦略と手法』 東洋経済新報社,2006年 飯尾潤著『日本の統治構造−官僚内閣制から議院内閣制へ』中公新書,2007年 | 高安健将 |
| 境家史郎著『政治的情報と選挙過程』木鐸社,2006年 | 日野愛郎 |
| 川人貞史著『日本の国会制度と政党政治』東京大学出版会,2005年 | 毛利 透 |
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社会科学の空間モデルはまず全てユークリッド距離を使うが,認知科学ではミン
コウスキー距離(つまり他の空間)も考える。それを知ったのがきっかけでここ
1年ほど,政治的立場の相違の認知の幾何学モデルに取り組んできた。幸運にも
プログラミングと大量のデータ分析を引き受けてくれる大学院生を共同研究者に
して面白い結果が得られたが,今度は理解してくれる人がいない。ところが,昨
秋から大学間交流プログラムをスタートさせるために来たイェール大学の認知科
学者は初対面にもかかわらず学会発表レジュメを見ただけで興味を持ってくれ
た。その上,二大学交流のための社会科学・認知科学の学際的シンポジウムの開
催にも協力してくれ,晴れて暗中模索から始まった研究が日の目を見ることにな
った。新しいことに取り組むのはリスクが高いが他では味わえない楽しみがある。
(加藤淳子)
2007年5月にミシガン大学客員教授の任期を終えて帰国し,仙台に戻ってから, 個人的な事情に忙殺された。本務校の教育負担を帰国後の半年ですべてこなさなけれ ばならなかったこともあって,忙しい日々を過ごした。ふとなつかしく思い出すのは, アナーバーで数多くの研究会に出席し,報告から受けたさまざまな知的刺激であり, また,新しいアイディアをはぐくむときの興奮である。昨年夏の参院選の自民党の惨 を受けて,秋の安倍晋三首相が辞任した頃から新たな刺激を受けて元気が出た。福田 康夫首相の登場と衆参ねじれ国会など日本の政治が激しく動き始めたことで,研究 として,いろいろと考えをめぐらすことが,楽しい。幸いに時間の余裕が出てきたの で,自分の研究体制を整えて,新しいテーマに取り組まなければと,考えている。 (川人貞史) 調査ばかり,と思われているので最近の趣味について。通史を読むことである。古書の60年代中央公 論社版『日本の歴史』『世界の歴史』,最近の『世界の歴史』『日本の近代』,さらに講談社版『日 本の歴史』など何でも寝転んで(新旧岩波講座は不適)読めるものを読む。長いスパンで体制や文化 を考え,現代を構成する史実へ接近し,外国人に判る日本政治を教えるため…とは建前で,実はゆ っくり眠るためである。副産物ではあるが,これまで少数の日本人だけでなく韓国数名,パキスタン ,バングラデシュ,カナダ,エチオピア等の学生に博士号を修得させ,デンマーク,ドイツ,アメリ カ,エストニア,ポーランド,中国(急増中),タイ,ロシア,イギリス,カザフスタン等の学生に 比較日本政治をなんとか指導したし,今もしている。しかしいい院生用テキストが必要!(辻中豊) いくつかのプロジェクトの進行管理と執筆に明け暮れています。 @90年代末以 降の政策決定過程の事例研究を協力者に依頼して1ダースほど集めました。某出版 社から『政界再編時の政策過程』という表題で出版されますので,どうそよろしくお 願いします。A官僚調査,真渕は,ここ数年「吏員型」官僚という概念を,学問的に は提唱していましたが,「調整型」官僚の復活もあり,日本の現実政治という観点か らは,少し安心しつつあります。B平成の市町村合併の効果を測定する研究,実態調 査の段階に入りつつあります。Cレバィアサン初代編集委員の村松先生が,2年後に 古希を迎えられます。年が改まって,少しずつ準備に入っています。D乾坤一擲,教 科書『行政学』の執筆に本腰を入れ始めました。以上,まだ病み上がりなので,様子 をみながら作業してます。(真渕 勝) |
| 〔特集の狙い〕現代日本社会と政治参加 |
| (文責 加藤淳子) |
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制度から民主主義を考える一方で,その制度を成立させる素地としての市民社会について,政治文化や政治参加という観点から分析を行うことは,政治学の伝統的なアプローチである。そこで分析の対象となるのは,制度と対置される個人であった。その個人間の関係に何らかの法則性や意味を見いだし,民主主義の基盤としての市民社会という観点から,必ずしも政治に関わらない組織や団体の実証分析に道を開いたのがパットナムであり,冒頭二論文は,この立場に立って,日本の市民社会の形成・変化と現状の実証分析に主眼を置いている。 巻頭の辻中他論文は,政府でなく,営利企業でなく,私的な親密集団でない,自治会,社会団体,NPOを,政治社会のガバナンスを支える市民社会の担い手として捉え,それらを対象に調査を行い,実証分析のための公共財としてのデータを提供するとともに,基本的な分析を行うことにより,仮説の検証のみならず,今後の調査の方向性も探るという目的を持ったものである。市民社会の研究は,実証を重視し,いかにその実現を図って行くかに,今後の研究の成果がかかっているのである。現在の市民社会が過去のそれとつながり経路依存性を持つ以上,現時点における現象の理解に歴史分析は不可欠である。調査やデータの蓄積は過去にさかのぼって行うことはできない一方で,データや資料が欠落,不足しているという理由で歴史分析を避けることはできない。 鹿毛論文は,この問題を,代替的データを収集し,それらの分析によって検証可能な仮説を立てることによって解決する。データを発掘し収集する地道な方法を提唱しつつ,定量的分析に定性的分析も加え,仮説を検証して行くという提案は傾聴に値する。 こうした市民社会の観点の重要性は論を俟たないが,他方で,民主主義における,最も基本的かつ効率的な政治参加が,選挙によって担われている事実は変わらない。選挙においては,代表する側の政治家がどのような代替的選択肢を提供するかによって,投票を通じての有権者の選択,すなわち,政治参加のあり方も変わる。 濱本論文は選挙制度改革前後の議員の政策選好を比較し,有権者の選択の前提条件を明らかにする。 遠藤論文は,選挙運動と言う直接的手段によって投票参加が促されることを示し,政治参加を考える上での選挙の重要性を改めて示唆する。 |
| <特集>現代日本の市民社会と政治参加 目次 | |
| <特集論文> | |
| 日本の市民社会構造と政治参加 | 辻中豊・崔宰栄・山本英弘・三輪博樹・大友貴史 |
| 自治会,社会団体,NPOの全体像とその政治関与 | |
| 日本における団体参加の歴史的推移 | 鹿毛利枝子 |
| 第二次世界大戦のインパクト | |
| 選挙制度改革と自民党議員の政策選好 | 濱本真輔 |
| 政策決定過程変容の背景 | |
| 選挙運動と投票参加 | 遠藤奈加 |
| 選挙運動媒体が投票率と地域の得票構造に及ぼす影響 | |
| <研究ノート> | |
| 行政的分権から政治的自律へ | 川橋郁子 |
| スコットランド,ウェールズにおける分権要求の比較分析 | |
| <書評> | |
| 月村太郎著『ユーゴ内戦―政治リーダーと民族主義』東京大学出版会,2006年 | 伊東孝之 |
| 大森彌著『(行政学叢書4)官のシステム』東京大学出版会,2006年 | 稲継裕昭 |
| 新川敏光著『日本型福祉レジームの発展と変容』ミネルヴァ書房,2005年 | 江口匡太 |
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中島信吾著『戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる 政治・外交・軍事』慶応義塾大学出版会,2006年 |
坂元一哉 |
| 阪口功著『地球環境ガバナンスとレジームの発展プロセス―ワシントン条約とNGO・国家』国際書院,2006年 | 信夫隆司 |
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黒崎輝著『核兵器と日米関係―アメリカの核不拡散外交と 日本の選択1960-1976』有志舎,2006年 |
柴山 太 |
| 山本吉宣著『「帝国」の国際政治学―冷戦後の国際システムとアメリカ』東信堂,2006年 | 田所昌幸 |
| 若月秀和著『全方位外交の時代』日本経済評論社,2006年 | 渡辺昭夫 |
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データ検索が非常に便利になったのは最近の現象で,新聞記事検索でも以前はそれのみに頼るのは危険だった。再分配政策決定過程で修士論文を書いた1980年代後半,私は図書館から生協まで100メートルほどの距離を何度も往復して四紙5〜6年分の縮刷版を一度に4,5冊よろよろしながら運び必要な紙面の拡大コピーをした。最近,修士論文を書く学生に重要な部分のみでも新聞の縮刷版を見ることを勧めた。縦横無尽にデータ検索ができるはずの彼の「記事が紙面のどこにどの位に扱われているかが一目瞭然でとても有益だった」という報告は興味深かった。私の苦労も筋トレ(?)以外の意味もあったようだ。データ検索から得る情報,紙媒体からの情報,人から得る情報,全て異なる。便利さに流されることなく的確に情報を処理することにも研究者の力量は問われよう。(加藤淳子) 2006年秋から8ヶ月間ミシガン大学日本研究センターの客員教授をつとめた。これまで客員研究員としてアメリカの大学にお世話になるばかりだったから,ささやかなお返しである。もっとも,このポストは教育負担が軽く,むしろ,研究と待遇の特権の方が大きかった。以前の滞米時もオフィスなどよい待遇は受けてきたが,それにもまして,今回は大学が提供してくれたリソースを活用することができ,ファカルティの研究者にとってすばらしい環境が整備されていることに感心した。 授業の方は,関心はあるが知識のない学生たちにアサインメントを読ませ,あれこれと説明し,また質問を投げかけて考えさせると,懸命に勉強してくれた。すべての学生のモラルが高いわけでなく,また,内容のレベル設定には気をつける必要があったが,日本の学生たちとは違う勉学態度が印象的だった。(川人貞史) 本文にあるように2006-07年にかけて,日本全国の市民社会組織,自治会の1割,電話帳所収団体と登 録NPOの全数,合計15万近くの団体調査を行った(回答は全部で4万弱)。調査会社に委託するのでは なく大学でほとんどの作業工程を行い,一部定型化した作業のみ委託したため,研究室はいつも数名 の研究者や大学院生でごった返す調査工場の様相を呈した。調査自体が設計や実施作業が大変な上に ,大学との作業方法や契約の打ち合わせ,仕様書・報告書作成,内部監査,会計監査,中間報告ヒア リング,現地調査などありとあらゆる「難儀」が降りかかり,大規模調査を推進する楽しさと苦しさ が膚身でわかる毎日を過ごした。公的資金の目的的使用は当然であるが,悪しき意味で官僚制的な不 必要文書や手続きがいかに多いか,しかもそれが事件の起こる度に日々増えていることも痛感する。(辻中 豊) 道州制論が盛んである。地方分権の受け皿として必要というのであれば,道州制の導 入にとくに反対する理由はない。問題は府県の扱いである。たとえば第28次地方制 度調査会は「広域自治体として,現在の都道府県に代えて道州を置く」と述べてい る。この結論の根底には,平成の大合併による市町村の行財政能力の向上に対する高 い評価がある。だが,合併によって市町村の能力はどの程度まで高まったのだろう か。合併した市町村の人口規模は,実は,人口10万未満の市町村が76%をも占め ている。しかも,2万人台がもっとも多い。この程度の規模の市町村に府県の権限の どれだけを移譲できるというのだろうか。府県を廃止するという主張は,平成の大合 併の効果を過剰評価している。やはりデータは重要である。(真渕 勝) |
| 〔特集の狙い〕政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア |
| (文責 辻中 豊) |
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1987年秋に創刊した『レヴァイアサン』は本号で創刊20周年40号を迎えた。
創刊号の発刊趣旨において,本誌は,「評論的,印象主義的に日本政治を扱う」それまでの日本の政治学が「実践的関心のゆえに」「通説的見解」を繰り返してきたそのあり方を批判しつつ,「政治的含意にとらわれない自由な解釈の呈示」「方法的な自覚にもとづく多様な分析手法」の導入を謳いあげた。また同様に「日本政治を特殊日本的枠組みで解釈しようとする」従来の「鎖国主義的,孤立主義的傾向」からの脱却を訴え,「普遍主義的な比較政治学の可能性を開」き,諸外国の研究者との積極的な「共同研究や研究会議」を持ちつつ,「分析に柔軟な試行錯誤性を導入し,かつ議論を人格的対立抜きに行うことを可能」することを主張した。 この20年の日本政治と政治学をめぐる変化は著しい。バブル景気へと続く経済拡張期に保守政権が一党支配を謳歌した中曽根政権期に出発した本誌も,90年前後の冷戦以後,社会主義以後への混迷の90年代の連合政権期を経て,21世紀に入り構造改革を謳い5年の長期政権を担った小泉政権へ(さらに憲法改正を掲げる安倍政権へ),また9.11と第二次イラク戦争後へという,激変した内外の政治環境に直面している。 こうした政治環境の激変は,政治的決定の意義の重大化を伴うものであり,現代政治分析,日本政治分析の意義を飛躍的に高めるものであった。そうした政治分析の重大化は,政治学の学界環境の変動を導き,既存学会以外に日本公共政策学会,比較政治学会,NPO学会,など新しい学会組織が90年代後半以降に設立され,またJapanese Journal of Political Science (2000〜)や『日本政治研究』(2004〜)などが続いて発刊されたことにもそれを見て取ることができる。 レヴァイアサンの狙いとした実証的,経験的な日本研究を中心とした現代政治分析は着実な広がりをみせ,日本の政治学界を大きく変容させた。本誌の書評に紹介,検討される経験的な研究モノグラフの蓄積を見ればそのことが了解されるであろう。現代の政治分析において実証的な根拠の希薄な印象主義的研究はほぼ姿を消したといえよう。 率直に現代日本政治を分析する政治学界の状況を眺望してみた場合,そこに問題点がないわけではない。端的にいえば,意味のある政治のリアリティに焦点をあて,それを弛まず経験的に分析する実証的で説得的な論文やモノグラフ自体は,私たちの期待するほどにはそう数多く生産されているわけではないという点ではないだろうか。 いうまでもなくこうしたことの背景には,これまでとあまり変わらない政治学者や政治学界が有している制度遺産があるだろう。いわば経路依存的に,「講座」「コース」「講義科目」によって,政治学が中心でない法学部・大学院のなかで,経験的でも実証的でもない研究者が相変わらず再生産される実態も残存する。90年代以降数多く生まれた国際系や公共政策系の学部や大学院において政治学専門に近い研究環境が生まれたとしても,欧米系の理論モデル志向の強さや理論や技法中心的ないわば頭でっかちの研究志向が続いているという側面も考えられる。 他方でこの10年の期間には,本誌の願った経験的研究の蓄積によって,かなりの本格的で良質なテキストが登場し,それはこうした問題点を克服する一歩であっただろう。しかし,もう一歩進めて若い研究者や大学院生に現代政治分析にチャレンジする,多様な接近法が存在することを積極的にアピールし,議論することこそが必要ではないだろうか。 20周年を記念する本特集においては,それゆえ,意味ある政治的現実を分析する若い研究者にむけて,必要なリアリティ接近(アプローチ)方法を特集した。紙幅に制約があるため,計量的,数理的,制度的,歴史的,社会学的といった方法論論文そのものではなく,各研究者が考えるアプローチの多様な手法を紹介,検討するとともに,その魅力をアピールしてもらうこととした。その際,執筆要領として次の3点を挙げた。 1)自分の主要な業績に即して(その事例や分析例などを引証,引用するなど),記述する。 2)データや資料収集の困難さやその意義,理論と実証の関連付け,操作化の困難さやその意義なども,できるだけ記述する。 3)学術小論文であるが,若い世代への伝達が容易な論理構成,文体に心がけ,計量的,数理的,また制度的,歴史的,社会学的といった方法論論文そのものではなく,各研究者が考える,現実に切り込むアプローチの多様な手法を紹介,検討するとともに,その魅力をアピールする。 以下の諸論文がこれまでのレヴァイアサンの論文とはやや異なったタッチ,個性的なものに仕上がっているとすれば,それはこの要領のせいである。 これまで,レヴァイアサンにおいて,常に「方法の意識化」が強調されてきたとはいえ,方法論自体が特集された例は多くはない。 本記念号の執筆は,4名の第一世代の本誌編集同人に加えて,多くの今後の政治分析を担う第一線の研究者にお願いし,アプローチそのものの多面的な百家争鳴を企画した。それゆえ,特集タイトルを「政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア」とした次第である。 |
| <特集> 政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア 目次 | |
| 〔第一世代〕 | |
| 研究の戦略 | 村松岐夫 |
| ―高根正昭『創造の方法学』を読みながら | |
| 日本政治と政治学の転換点としての1975年 | 大嶽秀夫 |
| ―「レヴァイアサンたち」の30年 | |
| アジアの政治文化の比較 | 猪口 孝 | 政治学とニューロ・サイエンス |
蒲島郁夫 井手弘子 |
| 〔歴史〕 | |
| 国際秩序論と近代日本研究 | 酒井哲哉 |
| 政治史研究と現代政治分析 | 松浦正孝 |
| ―拙著『財界の政治経済史』をめぐって | |
| 外交史と現代政治分析 | 細谷雄一 |
| 〔比較〕 | |
| 地域研究と現代政治分析の間 | 大西 裕 |
| 現代アメリカ政治研究は何を目指すべきなのか | 待鳥聡史 |
| ―1つの試論 | |
| 海外における現代日本政治研究 | 堀内勇作 |
| 「比較選挙」研究のすすめ | 西澤由隆 |
| 〔アクター〕 | |
| 議員行動における因果的推論をめぐって | 建林正彦 |
| 官僚・自治体の経験的分析 | 稲継裕昭 |
| 地方政治・政策分析 | 伊藤修一郎 |
| 中央地方関係の理論的分析へのいざない | 北村 亘 |
| 市民社会の集団・組織分析 | 鹿毛利枝子 |
| 〔選挙・政治参加〕 | |
| 選挙制度の合理的選択論と実証分析 | 鈴木基史 |
| 政治参加研究における計量的アプローチとフィールドワーク | 山田真裕 |
| 選挙と政党に関するデータの作成について | 品田 裕 |
| 選挙過程の実態把握を目的とする研究について | 森 裕城 |
| 〔方法論〕 | |
| ゲーム理論に関心のあるあなたに | 曽我謙悟 |
| ―使い手になるための三つのステップ | |
| 日本における政治学方法論へ向けて | 福元健太郎 |
| 政治学が学際研究から得るもの | 谷口尚子 |
| 事例分析という方法 | 内山 融 |
| 日本政治研究におけるアプローチのアプローチ | 谷口将紀 |
| 〔方法的研究例〕 | |
| 法化理論と日本の通商外交 | 飯田敬輔 |
| ―理論と実際の接点を求めて | |
| 議会研究 | 増山幹高 |
| ―権力の集中と分散 | |
| 計量政治学における因果的推論 | 今井耕介 |
| <独立論文> | |
| 「対米協調」/「対米自主」外交論再考 | 保城広至 |
| <研究ノート> | |
| 不均一な選挙制度における空間競争モデル |
上神貴佳 清水大昌 |
| <書評> | |
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竹中治堅『首相支配:日本政治の変貌』 中公新書,2006年 |
伊藤光利 |
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伊藤修一郎『自治体発の政策革新』 木鐸社,2006年 |
北山俊哉 |
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浅野正彦『市民社会における制度改革 ―選挙制度と候補者リクルート』 |
丹羽 功 |
| 慶應義塾大学出版会,2006年 | |
| 本誌で稲継裕昭氏のお名前が裕明と間違っています。お詫びして訂正いたします | |
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ひょんなきっかけから,政治的立場の違いの認識について分析を始めた。対象
の相違を距離で表す人間の認知に関しては1970年代から90年代初頭まで
心理学の分野で盛んに研究されたが,被験者に明度・彩度・色相を変えた色紙
や形や向きを変えた図形といった対象間の相違をスケーリングさせた実験デー
タの分析が中心であった。 政治学では,イデオロギー距離という概念に見られ るように政治的立場―たとえば政党の政策的立場や相違を距離として表すこ とは珍しいことではない。視覚に関わる相違に焦点をあてた認知心理学の研究 に対して,こちらは意味を持つ知的な認識による相違である。全く新しい分野 で,分野の異なる研究者と共同し荒野を歩いているような状態ではあるが,面 白くてやめられなくなってしまった。何とか成果をあげられよう祈るばかりで ある。(加藤淳子) 著書・論文の本文を読む前に,参考文献や引用文献を見ることが多い。その研究がどのような射程をもつかを知るうえで役に立つからである。引用文献は,著者の主張を補強するもの,記述の典拠となるもの,あるいは,批判の対象かもしれないし,関連する問題を扱った研究への言及かもしれない。いずれにせよ,著者の行論と何らかの形で関連しており,読者にとって参考になる。もっとも,あまりに多すぎると,逆に読者を煙に巻くことにもなりかねないが。 こんなことを書いたのは,最近,いくつかの本や論文で当然引用されていい文献が引用されていなかったり,引用されていても,典拠として適切に扱われていなかったりしているのを見つけたからである。引用の不備は,たぶん著者の研究の力量を反映しており,そしてまた,著者のマナーも問われかねない。自戒もこめて。(川人貞史) 20周年記念号編集は,編集・書評委員合同会議に助けられ,30名近くの執筆者の9割以上が締め切りに間にあうしかも読みやすくためになる原稿を(しかし分量「遵守度」には正に執筆者の個性が見られるものの,・・これは皆さん検証可能です)提出するという政治学的には異例の「集合行為」が見られました。これも皆,第一世代からの歴史的遺産であると感謝するとともに,20年の歴史が正に生きていることをよい意味で実感した次第です。 冬休みは,容易に年越せず冬仕事になるのは毎年のことながら,今年は某著名大学の外部審査評価書を書く(これは締め切りを「過ぎて」おりました)という宿題もあり,楽しく充実した毎日でした。因みに審査とは審査されることなり,というのが偽らざる感想で,振り返って我が身の学問を今年は形にせねばと痛感しました。(辻中豊) この2年半,病気で臥せっていました。そのために,レヴァイアサンの編集だけでな く多くの仕事で,みなさんに多大なご迷惑をおかけしてしまいました。昨年の秋頃か らようやく回復に向かい,現在は,体調と相談しながら少しずつ仕事を再開している 状況です。 とはいえ,この2年半,原稿執筆に明け暮れていた元気な頃に比べるとぼんやりと している時間が増え,テレビなど見て時事的な問題について考える機会がずいぶんと 増えました。こうした時事的な関心が原稿執筆やレヴァイアサンの編集にダイレクト に影響することはないかと思いますが,まったく影響がないともいいきれません。科 学的政治分析と政治評論の関係を真正面から考えることになるかもしれません。私自 身,どうなるか,楽しみにしています。(真渕勝) |
| 〔特集の狙い〕2005年総選挙をめぐる政治変化 |
| (文責 加藤淳子) |
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実証政治学において,その対象となる出来事や行動を分析する際,それらが分析者と同時代に存在している場合と既に過去のものとなってしまった場合には,異なる問題が生じる。過去の対象を分析する際には,情報や資料を新たに直接得ることができないことが大きな障壁になる一方で,分析者が,その現実を生きていないという意味で,対象と距離を置くことが可能である。他方で,同時代の対象を分析する際には,新たな情報やデータを直接取得することが可能である一方,その時代の考え方や観点,支配的見方等に影響を受けやすくなることは避けられない。そしてこのような困難があるからこそ,人口に膾炙しやすい解釈を再検証することや,特に説明を要しないと暗黙に前提されてきた出来事に新しい意味を見つけることが,分析者としての政治学者の役割となるのである。 2005年の総選挙における自民党の予想外の大勝は,小泉政権下の日本の政治の帰結として,いわゆる「小泉政治」の意味を象徴しているものと考えられている。小泉首相は,従来の自民党の総裁/首相と異なり,党内の支持やリーダーとの連携を拒否し,党内序列を無視した抜擢人事を行い,有権者からの直接支持を勝ち取ることにより,自民党内の不満を抑え政権を維持して来た。この小泉政権或いは小泉政権下の自民党に対する支持は,小泉首相や彼を支える改革支持勢力を「好ましい」と思う有権者の感情や情緒に依存しており,実際の改革の成果や政治に対する理解によらないといった見方がされてきた。2005年の総選挙に至る過程における小泉首相の行動,メディアによる報道や取材の過熱,その結果としての自民党の予想外の大勝はその見方をさらに裏付けた感がある。小泉首相は,郵政改革実現のため党内の反対を押し切って解散・総選挙に踏切り,改革造反派の選挙区で対立候補を擁立し有権者の関心を高め,選挙キャンペーン中に浮揚した支持に助けられた大勝で,党内の反発を支持に転じた。本特集は,このような起伏に富んだ過程と意外な帰結にとらわれることなく,通説的説明に疑義を呈する形で問題を設定し,小泉政権下の日本の政治の新たな位置づけを探る試みである。 巻頭の山田論文は,小泉首相への高い支持が,メディア等を通じての直接的情緒的訴えかけに依存しているという見方を,小泉支持層を実際に形成する有権者像を分析し再検証する。小泉首相の支持獲得の手法や小泉支持層が高い関心を集めたにも拘らず,いわゆるポピュリスト的支持層といってもその定義は曖昧であり,小泉首相独自の手法といっても,それが従来型の自民党のリーダーと異なり既成の党組織や従来の政策決定のあり方を無視しているという最大公約数的合意が存在するのみである。論文は,郵政改革への支持獲得戦略の一環として国会に提出された資料において小泉内閣支持基盤と名指しされた「低情報投票者」をまずポピュリスト的小泉支持層と特定する。そして,政治的情報や知識を直接測定したデータを代替するものとして,認知的困難の結果と見なされる世論調査における回答のデータを分析する。論文は,低い政治的認知や小泉首相への好感を持つ有権者が小泉支持層を形成したのではなく,小泉首相の直接的訴えかけに反応しやすいとみなされた女性の支持が小泉首相への好感からではないという結論を導き出す。しかしながら,「小泉ポピュリズム」の解釈からは意外な結論に目を奪われることなく,この人口に膾炙した見方を分析可能な問題として設定し直し,小泉支持層を実際に分析により特定したことに,論文の貢献はより多く見いだすべきであろう。 2005年総選挙における小泉支持層を直接の分析の対象としポピュリスト的小泉支持層の存在を批判的に検討した山田論文と好対照をなし,品田論文は,2003-4年のデータを援用しそれとの連続性を持って,小泉大勝が,それ以前の,しかも1980年代以来連続的な有権者の自民党支持のあり方をもって説明できるとしたところに新しさがある。これは,政党支持の類型を,有権者の認知的類型にまでしぼりこんで分析をしたために得られた結論である。政党離れが少ない「忠誠派」(しかし政治関与は大きい)と,「消極派」(政治的関与も小さい)に加え,政治関与が小さく政党からも大きく離れている「無党派」の支持を動員したことに,大勝の原因を求めているが,この「無党派」は,その支持を小泉首相が巧みに引き出したとは言え,決して新しい存在ではない。さらに,小泉評価を構成する要因を特定した因子分析(表7)は,小泉政治の「わかりやすさ」を具体的な理由をもって記述する点で興味深い。ここから浮かび上がる,「無党派」像は,政策に関する知識が乏しい(イデオロギーや党派の影響はこの類型でも大きい)という側面より,政治的決断や刷新という側面に敏感に反応するという側面により特徴づけられている。 小泉政権下の選挙のもう一つの特徴は,野党第一党である民主党が自民党に挑戦し続けたことにある。一方で,民主党が最大野党としての地位を確立しつつも,自民党中心の政権が常態化するにつれ,政党システムに関する論議は下火となった。1996年の総選挙後には,自民党と新進党の二大政党制の成立に関し多大な関心が寄せられたにもかかわらず,である。これは,民主党が,短命であった新進党と異なり,分裂することなく議席を伸ばしたにもかかわらず政権への展望が見えてこないことと無縁でないが,森論文は,2005年総選挙の分析を政党システムに関する議論にまで発展させている。ここで扱われるデータは,選挙制度及び選挙区ごとの投票率や絶対及び相対得票率といった基本的な統計であり,論文はその集計と比較によって分析を行っている。データの分析や数量的手法では,ともすれば複雑でテクニカルな手法がそれだけで珍重されがちであるが,実は最も信頼性が高くそれゆえに説得的な結論が導き出しやすいのは,このような確立された単純な手法である。森論文は,自民党が投票率の増大の恩恵を独占した結果,議席を増大したこと,大敗したはずの民主党が得票という点では大勝した2003年の総選挙と同水準であったことを示す一方で,選挙区別データは,自民党が従来支持基盤として依存して来た農村部での得票が停滞していることを示し,総選挙の結果を裏切る形での将来の自民党支持の不安材料を提示している。小泉政権下の自民党支持の増大が長期的な支持の安定に結びつかないといった指摘は多々なされてきたが,森論文はそれを実際の有権者支持の分布の変化で実証したことになる。論文から汲み取れる政党システムについてのもう一つの興味深い含意は,民主党の他の野党との連携の可能性から政権獲得への条件を考えたところにある。政策的立場や左右イデオロギーにおいては,五政党のちょうど真ん中にあたる民主党の位置は,他の野党と比較した場合の独自性の確保という点では不利であるが,将来の政権獲得の際の連合の交渉を考えた場合には有利なものとなる。選挙における勢力の帰趨とともに政党間交渉が政党システムに影響を及ぼすことを,具体的に競争の条件を場合分けし明確に示しているのである。 小泉政権のもう一つの特徴は,その改革志向であった。首相の姿勢として明確に現れたこの志向性をめぐって,それが従来のやり方を否定するという意味で斬新であるか,また実際に改革が行われ変化が起こっているのか,そしてそれが効果的に経済パフォーマンスの改善に結びついているのかが,小泉首相のリーダーシップと関係づけられ,関心の対象となった。しかしながら,一方で,改革の「結果」や「成果」が,リーダーシップのみならず,それが実行される時点での経済状況や,既存の社会利益の組織化や連合に左右されることは言を俟たない。実際,日本政治研究においては,政権,特に政権の長の政策的立場は稀にしか政策の変化の原因となり得ないと暗黙に前提され,政策決定や変化を社会経済的利益の組織化のパターンや連合とその時々の政治経済的条件を関係づけ説明する分析が有力であった。樋渡論文は,この観点にたった既存の分析の成果を活用し,小泉政権下の政策変化の何が新しいのか,すなわち何が小泉首相によってもたらされたかを,この従来の分析枠組と整合的に解明する。その結果浮き彫りになったのは,1990年代以来の赤字財政下の拡張的財政政策を転換した2001年の小泉政権下における不況対策の意味である。樋渡論文は,自民党の議席増大がかえって公共事業支出の減少を導くという傾向を,小泉政権下における自民党支持の安定とそれに貢献した小泉首相の党内の年功序列秩序の崩壊によって説明する。そして,小泉政権下における改革志向の本質は,その突出した首相の言動と裏腹に,現存の政治経済的条件の制約の下で取りうる手段を最大に活用する現実主義にあったとする結論を導き出すのである。小泉首相が,党内基盤に依存しないゆえに,党内勢力の財政出動要求を抑えこみ,政策転換に至ったという主張は,前三論文の小泉政権下の小泉支持の分析とそれの政党間競争における含意とあわせ,興味深い。 |
| <特集> 2005年総選挙をめぐる政治変化 目次 | |
| <特集論文> | |
| 2005年衆院選における自民党投票と政治的情報量 | 山田真裕 |
| 2005年総選挙を説明する | 品田 裕 |
| ―政党支持類型からみた小泉選挙戦略 | |
| 2005年総選挙と政党システム | 森 裕城 | 小泉改革の条件 | 樋渡展洋 |
| ―政策連合の弛緩と政策過程の変容 | |
| <独立論文> | |
| 政権党・官僚制・審議会 | 曽我謙悟 |
| ―ゲーム理論と計量分析を用いて | |
| 投票政党選択と投票-棄権選択を説明する | 山本耕資 |
| ―計量と数理の接点 | |
| <書評> | |
| 上川龍之進著『経済政策の政治学』東洋経済新報社,2005年 | 鹿毛利枝子 |
| 東京大学社会科学研究所編『「失われた10年」を超えて[U] | 上川龍之進 |
| ―小泉改革への時代』東大出版会,2005年 | |
| Junko Kato, Regressive Taxation and the Welfare State: | 藤村 直史 |
| Path Dependence and Policy Diffusion, Cambridge University Press,2003. | |
| 大前信也著『昭和戦前期の予算編成と政治』木鐸社,2006年 | 村井良太 |
| 小川晃一著『サッチャー主義』木鐸社,2005年 | 力久昌幸 |
| 山口二郎著『ブレア時代のイギリス』岩波新書,2005年 | |
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イェール大学博士課程在学中にある教授から奨学金の件で呼び出され明らかに
不当なことを言われたことがある。学生の弱い立場では反論できまいと言わん
ばかりの態度に腹を据えかね筋道たてて反論したところ,彼は「You are
bold. It's a compliment. (君は大胆だね。これは褒め言葉だ。)」と言っ
て即座に私の言い分を認めた。私のような小柄な日本女性が思いきったことを
言うと,その意外性に興味を引かれてか皆言い返された不快感を忘れてしまう
ようで,留学中はこのような場合全て相手は私の反論を認めてくれた記憶があ
る。理由は何であれ,立場の違いや強弱を超えお互いに率直な意見を言えるこ
とはその社会の風通しをよくすると思う。ひるがえって今の日本を思うと心も
とない感じがしてならない。(加藤淳子) 今年の秋からミシガン大学の客員教授として8ヵ月間,アナーバーに滞在することになった。長期間の海外生活は久しぶりである。これまでの2度の長期在外研究では,私の研究に関心をもってくれる人や共同研究者に恵まれて,英文の論文をレベルの高い研究誌(APSR, AJPS)に掲載することができた。アメリカでは共同研究,共著論文の執筆が活発に行われており,単著論文であっても,研究者コミュニティの中で十分な議論や批判を経ているので,事実上の共同研究といってよいかもしれない。今回は,どんな研究者たちと出会い,どんな知的刺激を得ることができるか,どんな相互作用が生まれるか,生まれないか,楽しみである。そして,もちろん,学生たちと会うことも楽しみである。(川人貞史) 話題のレヴィットとダブナーの『ヤバい経済学』を遅ればせながら読んだ。 評判通りの刺激的な本である。さらに,そこでは,J.Q.ウィルソンの犯罪研究 が,実証的データに裏付けのないいい加減な研究であることが指弾されてい る。基本的な武器は,重回帰分析。因果効果を厳密に検証することで,「専門 家」のいい加減な主張が暴かれていて,小気味が良い。しかし,政治学は因果 効果のみならず,因果関係のプロセスに関心を持つ。両者の関係をどうするべ きか,いろいろ考えさせられる。(久米郁男) IPSA福岡大会06年について別に詳細な報告がなされるだろうが,ここでは私的雑感。日本初開催だが ラ米,韓国など非西欧圏や欧州圏の海外参加者が多く,対する日本人研究者はお馴染みの面々以外は 意外と少ないように感じた。プログラムの参加者索引には実際の参加者の7割未満しか載っていなか ったが,日本人は1割未満であった。参加したいくつかのパネルでも,ホテルとの往復バスでも,日 本からの新顔は若い研究者に限られ(貴重な将来の芽だが),海外からは老若男女,学生まで多様に 活気づいていた。9年前の韓国IPSAではパネルのほとんどで韓国研究者が溢れていたのと対照的。 IPSA史上最大の参加者で大盛会なのに,日本人研究者が国際的に発信するという点からは,言葉では なく,内容と意欲の点でまだまだ鎖国的だと感じた。(辻中豊) |
| 〔特集の狙い〕行政改革後の政治と行政 |
| (文責 川人貞史) |
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2001年1月に中央省庁が再編され,一府一二省庁体制がスタートした。この行政改革と同時あるいは相前後して,わが国の政治と行政のあり方を大きく変える可能性のあるいくつかの制度改革が行われた。行政改革会議は1997年の最終報告の中で,「第一に,内閣・官邸機能の抜本的な拡充・強化を図り,かつ,中央省庁の行政目的別大括り再編成により,行政の総合性,戦略性,機動性を確保すること,第二に,行政情報の公開と国民への説明責任の徹底,政策評価機能の向上を図り,透明な行政を実現すること,第三に,官民分担の徹底による事業の抜本的な見直しや独立行政法人制度の創設等により,行政を簡素化・効率化すること,を目指す」と答申した。 これにもとづいて,官邸と内閣機能の強化のために,内閣の首長である首相がその指導性を十分発揮できる仕組みが整備され,内閣法改正においても首相の発議権が明記された。また,政策評価機能の充実強化の方針は,政策評価法の制定施行(2002年4月)へと結実した。 情報公開については,行革会議が設置される前に行政改革委員会・行政情報公開部会が作成した「情報公開法要綱案」が,情報公開法として成立し,2001年4月から施行された。 これらの動きとは別に,1999年の自民党と自由党の連立政権を契機として国会審議活性化法が制定された。その骨子は,党首の定例の討論の場となる国家基本政策委員会の設置(2000年通常国会),官僚が閣僚に代わって答弁する政府委員制度の廃止(1999年第146回国会),および,政務次官に代わる副大臣と政務官の設置(2001年1月)であった。 本号の特集は,これらの行政改革によって導入された諸制度がどのように運営されているかを現段階において分析し,それらが政治と行政のあり方をどのように変えつつあるかを明らかにし,今後の日本政治の変化を展望する。 |
| <特集> 行政改革後の政治と行政 目次 | |
| 〔特集論文〕 | |
| 官邸主導型政策決定と自民党 | 伊藤光利 |
| ―コア・エグゼクティヴの集権化― | |
| 副大臣・政務官制度の目的と実績 | 飯尾 潤 |
| 情報公開法と政府の行動 | 岡本哲和 |
| 政策評価制度の運用実態とその影響 | 田辺国昭 |
| 〔独立論文〕 | |
| なぜ自治体は規制を避けるのか? | 伊藤修一郎 |
| ―景観条例条文の主成分分析とゲーム理論による説明の試み― | |
| 立法における変換 vs 態度表明 | 増山幹高 | ―国会審議と附帯決議― |
| 〔書評〕 | |
| 土山實男著『安全保障の国際政治学―焦りと傲り』有斐閣,2004年 | 梅本哲也 |
| 曽我謙悟著『ゲームとしての官僚制』東大出版会,2005年 | 河野 勝 |
| 玉田芳史著『民主化の虚像と実像―タイ現代政治変動のメカニズム』京大出版会,2003年 | 恒川惠市 |
| 新川敏光著 『日本型福祉レジームの発展と変容』 ミネルヴァ書房,2005年 | 広本政幸 |
| 東大法・第5期蒲島郁夫ゼミ編『参議院の研究』全2巻,木鐸社,2004・5年 | 待鳥聡史 |
| 堀江孝司著『現代政治と女性政策』勁草書房,2005年 | 三浦まり |
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学生には,現実的なものであれば「一番面白いと思うこと」を研究するように必ずす
すめている。私の決して長くはない研究生活の中でも個別の研究テーマから分野と呼
べるようなサブジシプリンまでの栄枯盛衰を見てきた。このテーマをやっている,あ
る分野が専門であるというだけで研究が脚光を浴び就職が有利になるということは実
際にある。しかし,そういったテーマや分野程,顧みられなくなるのも早い。流行り
であっても自分が好きで研究に取り組んだのであれば後悔はないが,研究の華々しさ
にひかれた場合には得るものも少なく次の研究で早晩行き詰まることになる。困った
ことに容易に他の関心を集められる研究をしているとそれを好きであると錯覚しやす
い。本当の意味での好奇心が研究において重要であるゆえんである。(加藤淳子) 映画スター・ウォーズが20年以上の年月をかけて完結した。悪に染まった銀河帝国皇帝 とその弟子ダース・ベイダーを,平和と民主主義の擁護者であるジェダイ騎士団にベイダ ーの子ルークが加わって打ち倒し,正義と共和国を復活させる勧善懲悪の物語である。た だ,いろいろと疑問も生じてくる。たとえば,ジェダイ騎士団は正義の超能力を持つエリ ートで共和国軍の将軍たちであり,皇帝は共和国元老院によって選出された宰相だった。 そして,宰相が悪に染まったことを知った将軍たちが逮捕に向かって,返り討ちにあい, ジェダイ騎士団は殺害・追放されて,帝国が誕生する。将軍たちが首尾よく宰相を逮捕で きていたとすれば,これは一種のクーデタであり,どんな民主的な解決が生じていたのか, よくわからない。宰相は「善は一つの見解にすぎない」とも言っている。こんなことを言 ったら,家族からうっとうしがられてしまった。(川人貞史) 大学院教育改革として,本格的なコースワーク制の導入の検討を始めた。方 法論科目を全院生に必修とし,複数研究領域の修了試験合格を後期課程進学の 条件とするなどかなりラディカルな改革案になりつつある。どのあたりに日本 の大学院政治学教育としての特色を出すべきか,いろいろ考えさせられる今日 この頃である。(久米郁男) 昨秋,北京大学公民社会研究中心の成立大会「転形期中国公民社会的発展」に招かれた。英文では Center for Civil Society Studiesという。会議は10パネル,参加者に40論文,672 頁の大部の冊 子が配られた。欧米亜から30,総計100を越す招待者の中で日本人研究者は中国専門家でない私一人。 中国語を解せず必死に同時英訳に頼っているのもUNDP代表と私の二人だけ。それでも中国社会主義 の民営化と市場化は政府でない公共性と社会制御の担い手を社会団体に求めている熱気に煽られる とともに,一党支配下ではなお公民社会としてそれは表現されることにも引っかかる。で,ふと我 に返る。公民教科書,公民館,日本と同じ表現ではないか。無限に連想が湧く。他方利益集団と しての中国社団という私の発表に多くの参加者がそうだと肯いた顔も印象に残った。(辻中豊) | |
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〔特集の狙い〕90年代経済危機と政治 (文責 久米郁男) 第2次大戦後,経済成長と政治的安定を両立させてきた戦後政治経済体制は,1970年代から先進諸国で徐々に機能不全の兆しを見せてきた。1980年代,多くの先進民主主義国において進められた新自由主義的改革は,このような機能不全に対する政治的対応であり,各国の政治経済体制の変容をもたらした。この改革の背後には,慢性的な赤字財政が公共セクターのさらなる拡大を困難にしたことおよび,国を基本単位とする政治体制とグローバル化する経済との緊張が高まってきたという事情があった。日本は,80年代中曽根内閣時代に同様の新自由主義的改革を志向したものの,バブル崩壊まではむしろ自由市場経済とは異なる資本主義体制であると理解されることが多かった。しかし,そのような日本もバブル崩壊後の経済苦境の中で,本格的な新自由主義的改革を進めざるを得なくなったのである。 しかし,日本を含めた先進国における新自由主義的改革は,自由主義的市場経済への収斂へとつながったのであろうか。80年代から90年代にかけて同じような経済的困難や危機に直面した先進国はそれぞれに異なる政治的・政策的対応を見せてきた。このような対応の差異に注目して,比較政治経済学の分野では「資本主義の多様性」論が有力に主張されることとなった。そこでは,先進資本主義諸国に,自由市場型経済体制と調整型市場経済体制が併存し続けていることが強調された。 本特集は,日本政治学会とヨーロッパ政治学会の共同事業としてスタートし,その後独立行政法人経済産業研究所のプロジェクトとして進められた,日米欧の政治学者による共同研究の成果によって構成される。そこでの課題は,調整型市場経済の代表例と分類される日本,ドイツ,スウェーデンの3カ国における「経済危機」への対応に,いかなる類似点と相違点があるのかを解明することによって「資本主義の多様性」論をさらに発展させることである。 |
| <特集>90年代経済危機と政治 目次 | ||
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金融システム危機管理の比較政治学: 日本とスウェーデンにおける制度と責任回避戦略 |
上川 龍之進 真渕 勝 T・スヴェンソン | |
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政治的課題としてのコーディネーション: 調整型市場経済における労使関係の変化 |
久米郁男 K・セーレン | |
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政府の党派性と経済運営: 日本とスウェーデンの比較 |
加藤淳子 ボー=ロススタイン |
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小選挙区,比例代表,政治危機: ヨーロッパの観点から見た日本 |
E・イマグート S・ヨッフム | |
| <研究ノート> | ||
| 我が国の地方政府体系における統合・分化に関する実証研究 | 野田 遊 | |
| 地方公社の統廃合と知事の交代 | 松並 潤 | |
| <書評> | ||
| 猪口 孝著『「国民」意識とグローバリズム』NTT出版,2004年 | 河田潤一 | |
| 村井良太著『政党内閣制の成立 1918-27』有斐閣,2005年 | 川田 稔 | |
| 建林正彦著『議員行動の政治経済学』有斐閣,2005年 | 斉藤 淳 | |
| 池田直隆著『日米関係と「二つの中国」』木鐸社,2004年 | 佐藤 晋 | |
| 蒲島郁夫著『戦後政治の軌跡:自民党システムの形成と変容』岩波書店,2004年 | 西川美砂 | 佐道明広著『戦後日本の防衛と政治』吉川弘文館,2003年 | 道下徳成 |
| 足立研幾著『オタワプロセス:対人地雷禁止レジームの形成』有信堂,2004年 | 宮岡 勲 | 信夫隆司著『国際政治理論の系譜』信山社,2004年 | 宮下明聡 |
| <37号編集後記> |
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最近,政治家の離党や入党など政党間の移動行動(party switching)の比較を海外研
究者と行っている。政治家個人の動機づけに加え制度や環境の影響を分析する研究
で,これらミクロ及びマクロレベルの分析の関係について興味深い発見があった。各
国事例は,政党間移動が頻繁になりそれに対する批判が弱まるとますます移動が活発
になり,そのような行動がまれであり批判が強いという場合に大きく分けられるが,
この二分化した状態がどの時点でなぜ入れ代わるのかに関しては説明が難しい。日本
でも少なくとも政治家の間では1993年以降政党間の移動に関する見方が大きく変わっ
た。方法論的個人主義と(広義の)制度や構造を重視するアプローチは政治学におい
て対立してきたが,この対立図式自体が分析に限界をもうけているような気がする。 研究を行う際には,分析データの作成・整理とともに,さまざまな資料や文献の入手が欠かせない。大学の図書館に所蔵されているものを利用できれば一番だが,なければ,購入するか取り寄せることになる。書籍や雑誌論文などは図書館の相互利用サービスによる文献複写,現物借用が便利である。電子ジャーナル化がかなり進んだ外国雑誌の論文は,ダウンロードする。また,私が専ら行っている国会研究では,戦後すべての本会議,委員会を瞬時に検索できる国会会議録検索システムが便利である。そして,国会図書館所蔵のさまざまな第一次資料は,文書目録をもとに複写サービスによって入手する。しかし,研究を進めるための仮説とその実証方法の考案が最も重要であることは,いうまでもない。資料をただ読みあさっても何も出てこないからである。(川人貞史) 政治学の海外ジャーナルからレフェリーを頼まれる機会があると,できるだけ引き受けるようにしている。このシステムは,研究者のコミュニティーがボランタリーに支えるべき「公共財」のようなものだと思うからである。しかし,どのレベルの論文を掲載可と判断するかは,なかなか難しい。依頼には,通常,本ジャーナルにふさわしいかという基準で判断してほしいとある。ジャーナルのランキングオーダーをも意識しながらの判断となるからである。日本でも,レフェリー制ジャーナルが増えつつある。どのようなランキングが生まれてくるのか,老舗(?)の本誌はどう評価されるのか,興味深い。臨時雇いの編集委員故の無責任な感想と叱られそうだが・・・。(久米郁男) 前号で書いた「世界最小の公的セクターで最大の財政赤字」問題は現実政治の方で持ち越して,本号が出る頃には郵政絡みで政界混乱(?)。問題は一般会計からその倍以上の特別会計へと拡大すべきだが,政界的にも政治学的にもすっきりとした分析に出会わない。他方,国立大学も法人化し,特定教員に対する一%から一割削減まで,ここでも一律に減らし,一部戦略的配分との潮流だが,やはり少し腑に落ちない。公的セクターの意義を曖昧にしたまま効率万能でいいのか。大学もやはり日本は「世界最小の大学セクター」。スタッフ少なく財政支出も世界最小規模で期待値も最低である。公的なものへの根本的な意義が議論されないまま,削減の嵐にどう抗するか。楽しく比較市民社会研究を遂行しつつ,矛盾に腹立たしい毎日でもある。(辻中豊) |
| 第36号の目次 | |
| <特集論文> | |
| G.H.W.ブッシュ政権(1989-1993)の国内政策と共和党の変容:米国の政党内イデオロギー闘争の一例として | 久保文明 |
| 連邦議会における大統領支持連合の形成:1996年情報通信法の立法過程を事例として | 待鳥聡史 |
| 「国際世論」の理論モデルと実証方法:米国主導のアフガニスタン戦争を誰が支持したか |
B.E.ゴールドスミス 堀内勇作 猪口孝 |
| ジョージ・W・ブッシュ政権とテクノロジー政策 | 豊永郁子 |
| <独立論文> | |
| 国際的不況とディスインフレ的経済規律: 経済政策における選択肢と90年代長期経済停滞の日本・スイス比較 | 樋渡展洋 |
| 現代日本の選挙過程における情報フロー構造 | 境家史郎 |
| <書評> | |
| 中北浩爾著『一九五五年体制の成立』東京大学出版会,2002年 | 河野康子 |
| 谷口将紀著『現代日本の選挙政治:選挙制度改革を検証する』東京大学出版会,2004年 | 堤 英敬 |
| 35号目次 | |
| <特集論文> | |
| ヨーロッパ政治と「憲法化」―法システムと政治システムの間― | 小川 有美 |
| 都道府県の法定外税導入の分析 | 北 村 亘 |
| 社会資本整備の政治過程における決定のルールとアリーナ | 高松淳也 |
| <独立論文> | |
| 政治的対立軸の認知構造と政党―有権者関係 | 平野 浩 |
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沖縄県民投票に関する計量分析 ―迷惑施設をめぐる有権者の投票行動― | 塩沢健一 |
| 国会中心主義と議院内閣制 | 川人貞史 |
| <誌上論争> | |
| 〔解 題〕 議会研究と国会研究の間で | 待鳥聡史 |
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〔批判的書評〕 国会は「多数主義」か「討議アリーナ」か? 増山幹高著『議会制度と日本政治 議事運営の計量政治学』(木鐸社,2003年)をめぐって | 福元健太郎 |
| 〔応 答〕 福元書評に対するコメント | 増山幹高 |
| <書 評> | |
| 納家政嗣著『国際紛争と予防外交』(有斐閣,2003年) | 赤根谷達雄 |
| 牧原出著『内閣政治と「大蔵省支配」――政治主導の条件』(中公叢書,2003年) | 大山耕輔 |
| 西平重喜著『各国の選挙――変遷と実状』(木鐸社,2003年) | 加藤秀治郎 |
| 川人貞史著『選挙制度と政党システム』(木鐸社,2004年) | 品田 裕 |
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大山礼子著『比較議会政治論
―ウェストミンスターモデルと欧州大陸型モデル』(岩波 書店,2003年) | 高橋直樹 |
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唐渡晃弘著『国民主権と民族自決 ―第一次大戦中の言説の変化とフランス』(木鐸社,2003年) | 坪井善明 |
| 待鳥聡史著『財政再建と民主主義』(有斐閣,2003年) | 中林美恵子 |
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大矢根聡著『日米韓半導体摩擦〜通商交渉の政治経済学』(有信堂,2002年) 中戸祐夫著『日米通商摩擦の政治経済学』(ミネルヴァ書房,2003年) | 野林 健 |
| 的場敏博著『現代政党システムの変容:90年代における危機の深化』(有斐閣,2003年) | 吉野 孝 |
辻中 豊(文責) |