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現代日本政治分析のフォーラム

『レヴァイアサン』のページ




 この数年,日本の政治学界には新しい流れが生まれています。本誌はこの新しい流れの学問的コミュニティに一つのフォーラムを提供し,一層旺盛な批判と反批判の場を作ることで,政治学研究を活性化することを狙いとしています。
創刊号から21号までは,現在顧問として大所高所から,見守って下さっている方々が担いました。現在はいわば二代目世代に属する名実ともに第一線で活躍中の研究者が各号を担当しています。
 また書評欄を充実させ,批判と反批判という本誌の狙いをより鮮明にするよう心がけております。
 先ずは各委員のプロフィール,次に最新号から特集テーマと執筆者という順序でご紹介しましょう。『朝日新聞』2007年8月23日付朝刊で小誌20年の歩みを紹介(大室一也氏執筆)
 新たに増山幹高教授が書評委員として参加されました(08年6月20日更新)。
(公共政策論文公募)


◆加藤委員からの贈物(07年12月22日)
◆顧問紹介
◆編集委員紹介
◆書評委員紹介
◆三宅賞について
◆2008年度三宅賞について
◆第10回三宅賞について
◆第9回三宅賞決定
◆第8回三宅賞決定
◆第7回三宅賞について
◆第6回三宅賞決定
最新(42)号 特集 ポピュリズムの比較研究に向けて(4月15日刊行)『公明新聞』08-5-12紹介記事掲載
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
41号 現代日本社会と政治参加(10月15日刊行)『公明新聞』07-10-29紹介記事掲載
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
40号 20周年記念増頁号 政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア(4月15日刊行)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
39号 2005年総選挙をめぐる政治変化(10月15日刊行)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
38号 行政改革後の行政と政治(4月15日刊行)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
37号 90年代経済危機と政治(10月15日刊行)(10月16日更新)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
36号 日本から見た現代アメリカ政治(4月15日刊行)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
35号 比較政治学と事例研究(10月15日刊行)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
34号 政官関係(4月15日刊行)(3月20日更新)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
33号 地方分権改革のインパクト(10月15日刊行)(9月14日更新)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
32号 90年代の政党政治と政策の変化(4月15日刊行)(更新3月2日)(更新3月8日)(更新月4日)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
31号 市民社会とNGO――アジアからの視座(10月15日刊行 増ページ)(更新9月8日)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
30号 議会研究(4月15日刊行 増ページ)
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
◆バックナンバー(29〜21号 二代目世代による)
◆バックナンバー(20〜創刊号 創業世代による)
投稿大歓迎!
◆【投稿規定】(変更07年3月25日)
書評委員会から 本誌の狙いに沿った投稿期待しております

◆加藤委員からの贈物
 東大・イェール大2大学交流事業のため,現在イェールに滞在中の加藤委員より素敵なクリスマスツリーの写真が届きました。加藤氏のご了解をいただきましたので公開致します。皆様にもお楽しみ下されば光栄です(07-12-22)。

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◆顧問紹介
猪口 孝教授
中央大学法学部
政治学・国際関係論の実証的研究,その体系化に努め,現在Japanese Journal of Political Scienceの編集長として活躍中
大嶽秀夫教授
同志社女子大学
細川政権以来日本の政治は激動期に入った。この現状と行末を分析・予測することが政治学者の課題だ。また具体的な政策提言や決定への参与も求められている。これらの課題に応え,社会的責任を果す為にも本フォーラムの提供は必要である。
蒲島郁夫教授
東京大学法学部
後ほど原稿送ります
村松岐夫教授
学習院大学法学部
国公立大学 の法学部系政治学者は,法科大学院が設置されるなら,法学部教育の一環であった政治学はどこに行くのか。直接の職業と結びつくような専門大学院をつくるのか,学部レベルで良き市民のための教育をするのか。研究者はどのようにして生まれるのか。我々は今,どこに棲むのかの選択を迫られているような気がする。

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◆編集委員紹介

加藤淳子教授
東京大学大学院法学政治学研究科
より多くの投稿を期待しています。
川人貞史教授
東北大学法学部
独創的なアイディアをもとに注意深く仕上げたすぐれた論文をたくさんレヴァイア サンに掲載したいですね。
辻中 豊教授
筑波大学社会科学系
現代政治に関して,政治学者の「なぜ」ではなく,他の社会科学者やふつうの市民の 「わからない!なぜ?」に,応え答えうる編集に努めたい。
真渕 勝教授
京都大学法学部
分権改革や中央地方関係をテーマに特集を組めないものか考えている。比較研究の重要さが認識されるにつれて,同質的な一定の数のNが期待できる「地方」 は,絶好のフィールドとなってくるはずである。投稿を待つ。

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◆書評委員紹介 このたび新たに増山教授が加わりました(08年6月20日更新)
久米郁男教授
早稲田大学政治経済学部
後ほど原稿送ります
河野康子教授
法政大学法学部
後ほど原稿送ります
古城佳子教授
東京大学総合文化研究科
論争的な書評を歓迎しますので,どしどし投稿してください
田中愛治教授
早稲田大学政治経済学部
すごいと思う本に出会うことがたまにあるが,そういう本を一つでも紹介できれば本望だと思う。
田辺国昭教授
東京大学大学院法学政治学研究科
後ほど原稿送ります
増山幹高教授
慶應義塾大学法学部
 新入りです。よろ しくお願いします。
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レヴァイアサン
年2回(春・秋)刊行 菊判・平均200頁・2000円

編集委員 加藤淳子・川人貞史・辻中豊・真渕勝
書評委員 久米郁男・河野康子・古城佳子・田中愛治・田辺国昭・増山幹高
顧問   猪口孝・大嶽秀夫・蒲島郁夫・村松岐夫



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◆三宅賞について

 三宅賞は神戸大学名誉教授・学士院会員三宅一郎先生からのご寄付に基づき,過去一年間に発表された最も優れた政治学論文に与えられております(賞金 20万円)。


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◆2008年度三宅賞について



 三宅賞の目的は,現代日本政治研究の分野において,過去一年間に出版された論文の中から優れた作品に与えられるものです(賞金20万円)。今回の審査は2006年10月1日から2007年9月30日までに出版された論文を審査いたしました。 次の論文を,2008年度三宅賞として決定しました。

Shuhei Kurizaki,“Efficient Secrecy: Public Versus Private Threats in Crisis Diplomacy,”American Political Science Review, Volume 101, No.3 ,pp. 543-558, August 2007

 本論文は,国際政治外交の分野で,きわめて斬新な発想で,公的外交の外で行われる外交の有効性を分析しています。Shuhei Kurizaki氏は,日本からアメリカの大学院に留学され,UCLAで博士号を取得し,現在Texas A& Mで助教授(アシスタントプロフェッサー)をしておられます。 栗崎氏の論文で用いられているゲームモデルは,研究課題を見事に解き明かすだけでなく,他の課題にも適用可能な汎用性の高いものであります。さらに,外交史の知見を利用しながら,モデルから導出された仮説をうまく検証しております。
 選考委員会は満場一致で決定しました。
(文責 村松岐夫)
選考委員
猪口 孝/ 大嶽秀夫/ 蒲島郁夫/ 村松岐夫

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◆第10回三宅賞について



 三宅賞の目的は,現代日本政治研究の分野において,過去一年間に出版された論文の中から優れた作品に与えられるものです(賞金20万円)。今回の審査は2005年10月1日から2006年9月30日までに出版された論文を審査いたしました。選考委員会の慎重な審査の結果,第10回三宅賞については委員の合意が得られませんでしたので,該当作なしと決定いたしました。(文責:蒲島郁夫)
選考委員
猪口 孝/ 大嶽秀夫/ 蒲島郁夫/ 村松岐夫

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◆第九回(2006)三宅賞決定

 三宅賞は,三宅一郎氏のご厚意により設立されたものです。三宅賞の目的は,過去一年間に出版された論文の中から優れた作品に与えられるものです(賞金20万円)。今回の審査は2004年10月1日から2005年9月30日までに出版された,日本人政治学者による論文を審査し,選考委員会の慎重な審査の結果,第九回三宅賞は以下の論文に決定いたしました。
Imai, Kosuke. (2005). "Do Get-Out-The-Vote Calls Reduce Turnout? The Importance of Statistical Methods for Field Experiments." American Political Science Review, Vol. 99, No. 2 (May), pp. 283-300.
 本論文は, 三宅賞にふさわしい政治学方法論に関する論文です。この論文に加え,著者の研究成果の旺盛な海外発信を評価し,選考委員満場一致で受賞作と決定しました。 (文責:蒲島郁夫)
選考委員:猪口 孝・大嶽秀夫・蒲島郁夫・村松岐夫


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2006年7月10日IPSA福岡大会にあわせ今井氏は米国プリンストンより来日,三宅先生ご夫妻,選考委員,書評委員,パネル参加者も出席され(猪口邦子大臣もご挨拶にみえられ),初めて英語で授与式と昼食会が行われました(その時のスナップです)。
三宅御夫妻今井耕介氏三宅夫人
三宅御夫妻今井耕介氏・田中愛治氏三宅御夫妻と過去の受賞者


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◆第八回(2005)三宅賞決定

 三宅賞は,三宅一郎氏のご厚意により設立されたものです。今回の審査は2003年10月1日から2004年9月30日までに出版された論文を審査し,選考委員会の慎重な審査の結果,第八回三宅賞は以下の論文に決定いたしました。
 池田謙一「2001年参議院選挙と『小泉効果』」,日本選挙学会2003年度年報『選挙研究』 2004, No.19, 29-50.
 本論文は,2001年参院選における自民党勝利と「小泉効果」の関係を計量的に分析したものであり,三宅賞にふさわしい優れた実証研究です。この論文に加え,研究成果の旺盛な海外発信を評価し,選考委員満場一致で受賞作と決定しました。(文責:蒲島郁夫)
選考委員:猪口 孝・大嶽秀夫・蒲島郁夫・村松岐夫


2005年5月11日三宅先生をお招きして授与式が行われました
蒲島氏池田氏と三宅先生池田氏


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◆第七回三宅賞について

 三宅賞の目的は,現代日本政治研究の分野において,過去一年間に出版された論文の中から優れた作品に与えられるものです(賞金20万円)。今回の審査は2002年10月1日から2003年9月30日までに出版された論文を審査いたしました。選考委員会の慎重な審査の結果,第七回三宅賞については委員の合意が得られませんでしたので,該当作なしと決定いたしました。(文責:蒲島郁夫)
選考委員
猪口 孝/ 大嶽秀夫/ 蒲島郁夫/ 村松岐夫



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◆第六回三宅賞決定


第6回三宅賞授賞時のスナップ
 第6回三宅賞は増山幹高氏(慶應義塾大学)「国会運営と選挙:閣法賛否の不均一分散 Probit 分析」『選挙研究』16号,2001年に与えられました(5月13日)。


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第3回三宅賞授賞時のスナップ


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◆42号 特集 ポピュリズムの比較研究に向けて(4月15日発行)

〔特集の狙い〕ポピュリズムの比較研究に向けて
(文責 大嶽秀夫)
 2001年春の小泉・眞紀子旋風と2005年郵政選挙での小泉圧勝によって,日本の政治や政治学において,ポピュリズムの語がにわかに流行し始めた。ほぼ同時期に,韓国,台湾,タイなどでも,新政権の特徴を指摘する概念としてポピュリズムの用語が使われた。また若干溯って,レーガン,ペロー,ブッシュJr,あるいはエリツィンについても,そのポピュリスト的手法が指摘された。(なおプーチンは,ポピュラーではあるが,ポピュリストではない,というのが本号の執筆者,下斗米の見解である。)このように,近年の政治現象を指す言葉として,ポピュリズムの語が復活した。これらの例をみると今日の政治学では,ポピュリズムはトップ・リーダーないしその候補者の政治戦略,すなわち政党や議会を迂回して,有権者に直接訴えかける政治手法going publicの意味で主として使われていることが分かる。
 現在のポピュリズム政治の流行は,ソ連の崩壊,西側の社会主義運動の解体による左右対立の急速な消滅とほぼ時を同じくしている。そしてその対立軸に代わるものとして,エリート対「大衆people」という対立図式が世界各国で(再)登場したものとみることができる。娯楽性を増したテレビの政治報道に依拠しながら,である。日本,韓国,台湾,アルゼンチン,米国,ロシアなど,本号で取り上げた国々においては,中心的争点は基本的に,政治腐敗に対処すべき「政治改革」であり,強まる政治不信・政党不信,政府(官僚)不信を背景に「アウトサイダー」政治家が人気を博するポピュリズム政治が登場している。この時期のポピュリズムは,ネオリベラリズムの登場と時を同じくしており,両者のイデオロギーには共鳴する部分が多い。しばしば「ネオリベラル・ポピュリズム」と呼ばれるのはそのためである。ロッキード事件後の新自由クラブの登場で始まり,小泉純一郎首相(石原慎太郎東京都知事)に至るまで,断続的にポピュリストの「パルス」をみた日本政治は,その典型的な一例といってよい。

 振り返ってみると,ポピュリズムは,政治学および歴史学の分野における学術用語としては,19世紀末ロシアのナロードニキ,19世紀末から20世紀初頭にかけての米国の農民運動,そして1930年代から50年代にかけての南米諸国(とりわけメキシコ,ブラジル,アルゼンチン)の大衆動員型政権という,三つの相互に全く異質な政治現象を指す言葉として用いられてきた。これらを古典的ポピュリズムという。
 その後,第二次大戦後の発展途上国について,ポピュリストのラベリングが,明確な定義付けもなく,広く用いられるようになった。ナセル,ガンジー,毛沢東などがその例である。これに対し,先進諸国では「イデオロギーの終焉」とともに,ポピュリズムも,ファシズム同様,既に過去のものとなった観があった。ところが「ネオ・ポピュリズム」と呼ばれる急進的右翼政党が,1980年代,まずフランスで(ルペンの国民戦線),ついでオーストリアで(ハイダーの自由党)登場した。多くの場合,共産党の衰退にあわせて,それとの交替を告げるように,である。さらに1990年代には,急進的ポピュリズム運動の波は,西欧各国から,ポスト・コミュニズムの東欧諸国にも広がった。加えて,左翼の側でもよく似たレトリックを用いる過激な運動が,フランスなどで(反クローバリズム,反WTOを掲げて)農民運動を指導したジョゼ・ボヴェを代表に登場した。これら極右,極左の運動は多かれ少なかれ代議制民主主義に対する不満を表明し,直接民主主義の「復活」を目指す。制度・レジームとしの民主主義に対抗して運動としての民主主義を掲げているという意味で,ラディカルである。権威主義への傾斜の危険を内包してもいる1970年代後半に米国で,カリフォルニアから始まった反税運動も同じ系列に属する(下からの)ポピュリズムである。
 こういった事情から,ポピュリズムの語は,極めて多様な政治現象を表現することとなり,概念上の混乱が著しい。しかし,次の三つのレベルに大別することが可能である。すなわち,@政治体制regime(ラテンアメリカの政治システム)A政治戦略(現代の多くのポピュリスト指導者たちの政治手法),B政治運動(ヨーロッパの急進主義運動)がそれである。そして,これらの異なるレベルに共通するのは,ポピュリスト・イデオロギーであるというのが,筆者の理解である。
 ポピュリズム・イデオロギーの内容が何であるかについては,本号の大嶽論文の検討に譲るが,かなり明確な価値体系,イデオロギー体系を共通してもつことは否定できないように思われる。ポピュリズムはイデオロギーを欠いているとしばしば指摘されるが,欠けているのは政策上の体系的プログラムである。社会主義,ネオリベラリズムあるいはファシズムなどと比較した場合,それ自体としては,政策的なオリエンテーションを持たない。それ故,社会主義とも,ネオリベラリズムとも,人種差別主義とも結合しうるのである。前述の「ネオリベラル・ポピュリズム」はその一つである。

 本号では,21世紀の今後においても一つの重要なタイプとなるであろう,以上のような政治指導を比較政治学的観点から,考察してみたい。  ところで政治理論としてみた場合には,先の@の体制論としてのポピュリズムは,ラテンアメリカのケースが典型であるが,体制論,国家論という観点から,ポピュリズム政治と社会,経済との総体的関係についての認識が議論の対象となって,深く豊かな理論的蓄積を行ってきた歴史がある。多くの場合,マルクス主義ないしはマルクス主義的認識と結びつきながらである。この場合,ポピュリズムという認識枠組みは,単にモデル・パターンの提示(すなわちパターン認識)にとどまらず,(歴史的)因果関係についての理論,ないしは(ポピュリズム国家のもつ)機能についての理論命題を同時に含むものであった。理論的水準が高いのである。
 他方,A,Bの政治戦略ないし運動としてのポピュリズムという認識枠組みは,しばしば社会心理学や大衆社会論,あるいは階級論などの理論を含むが,未だ充分に理論化されてきているとは言い難い。
 本号の大部分の論文は,そうした理論構築を目指す第一歩と位置づけられるもので,分析的というよりは,記述的なものにとどまっている。急速に展開する現代政治を,いわば生ものとして扱う「ウォッチャー」としての政治学者の一つのスタンスを表現していると言えなくもない。これらを素材に,理論的考察を比較政治の場で展開することが,われわれの今後の課題である。


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<特集>ポピュリズムの比較研究に向けて 目次
<特集論文>
ポピュリスト石原都知事の大学改革 大嶽秀夫
 東京都立大学から首都大学東京へ
ポピュリズムの中の「歴史認識」問題 木村 幹
 日韓の事例を中心に
台湾の民主政治とポピュリズム 松本充豊
 李登輝と陳水扁の政治戦略の比較
アルゼンチンにおける「制度化されたポピュリズムの形成?」 篠ア英樹
 メネム政権における政権党内の中央地方関係からの再考
アメリカ政治のポピュリズム 五十嵐武士
ロシア下院議員選挙とプーチン政治体制の変容 下斗米伸夫
<書評>
秋吉貴雄著『公共政策の変容と政策科学:
 日米航空輸送産業における二つの規制改革』有斐閣,2007年
秋月謙吾
服部龍二著『幣原喜重郎と二十世紀の日本−外交と民主主義』有斐閣,2006年 井上寿一
竹中治堅著『首相支配−日本政治の変貌』中公新書,2006年
内山融著『小泉政権−「パトスの首相」は何を変えたのか』中公新書,2007年
大嶽秀夫著『小泉純一郎 ポピュリズムの研究−その戦略と手法』
 東洋経済新報社,2006年
飯尾潤著『日本の統治構造−官僚内閣制から議院内閣制へ』中公新書,2007年
高安健将
境家史郎著『政治的情報と選挙過程』木鐸社,2006年 日野愛郎
川人貞史著『日本の国会制度と政党政治』東京大学出版会,2005年 毛利 透


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◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
<42号編集後記>
 社会科学の空間モデルはまず全てユークリッド距離を使うが,認知科学ではミン コウスキー距離(つまり他の空間)も考える。それを知ったのがきっかけでここ 1年ほど,政治的立場の相違の認知の幾何学モデルに取り組んできた。幸運にも プログラミングと大量のデータ分析を引き受けてくれる大学院生を共同研究者に して面白い結果が得られたが,今度は理解してくれる人がいない。ところが,昨 秋から大学間交流プログラムをスタートさせるために来たイェール大学の認知科 学者は初対面にもかかわらず学会発表レジュメを見ただけで興味を持ってくれ た。その上,二大学交流のための社会科学・認知科学の学際的シンポジウムの開 催にも協力してくれ,晴れて暗中模索から始まった研究が日の目を見ることにな った。新しいことに取り組むのはリスクが高いが他では味わえない楽しみがある。 (加藤淳子)


 2007年5月にミシガン大学客員教授の任期を終えて帰国し,仙台に戻ってから, 個人的な事情に忙殺された。本務校の教育負担を帰国後の半年ですべてこなさなけれ ばならなかったこともあって,忙しい日々を過ごした。ふとなつかしく思い出すのは, アナーバーで数多くの研究会に出席し,報告から受けたさまざまな知的刺激であり, また,新しいアイディアをはぐくむときの興奮である。昨年夏の参院選の自民党の惨 を受けて,秋の安倍晋三首相が辞任した頃から新たな刺激を受けて元気が出た。福田 康夫首相の登場と衆参ねじれ国会など日本の政治が激しく動き始めたことで,研究 として,いろいろと考えをめぐらすことが,楽しい。幸いに時間の余裕が出てきたの で,自分の研究体制を整えて,新しいテーマに取り組まなければと,考えている。 (川人貞史)


 調査ばかり,と思われているので最近の趣味について。通史を読むことである。古書の60年代中央公 論社版『日本の歴史』『世界の歴史』,最近の『世界の歴史』『日本の近代』,さらに講談社版『日 本の歴史』など何でも寝転んで(新旧岩波講座は不適)読めるものを読む。長いスパンで体制や文化 を考え,現代を構成する史実へ接近し,外国人に判る日本政治を教えるため…とは建前で,実はゆ っくり眠るためである。副産物ではあるが,これまで少数の日本人だけでなく韓国数名,パキスタン ,バングラデシュ,カナダ,エチオピア等の学生に博士号を修得させ,デンマーク,ドイツ,アメリ カ,エストニア,ポーランド,中国(急増中),タイ,ロシア,イギリス,カザフスタン等の学生に 比較日本政治をなんとか指導したし,今もしている。しかしいい院生用テキストが必要!(辻中豊)


 いくつかのプロジェクトの進行管理と執筆に明け暮れています。 @90年代末以 降の政策決定過程の事例研究を協力者に依頼して1ダースほど集めました。某出版 社から『政界再編時の政策過程』という表題で出版されますので,どうそよろしくお 願いします。A官僚調査,真渕は,ここ数年「吏員型」官僚という概念を,学問的に は提唱していましたが,「調整型」官僚の復活もあり,日本の現実政治という観点か らは,少し安心しつつあります。B平成の市町村合併の効果を測定する研究,実態調 査の段階に入りつつあります。Cレバィアサン初代編集委員の村松先生が,2年後に 古希を迎えられます。年が改まって,少しずつ準備に入っています。D乾坤一擲,教 科書『行政学』の執筆に本腰を入れ始めました。以上,まだ病み上がりなので,様子 をみながら作業してます。(真渕 勝)



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◆41号 特集 現代日本社会と政治参加(10月15日発行)

〔特集の狙い〕現代日本社会と政治参加
(文責 加藤淳子)
 制度から民主主義を考える一方で,その制度を成立させる素地としての市民社会について,政治文化や政治参加という観点から分析を行うことは,政治学の伝統的なアプローチである。そこで分析の対象となるのは,制度と対置される個人であった。その個人間の関係に何らかの法則性や意味を見いだし,民主主義の基盤としての市民社会という観点から,必ずしも政治に関わらない組織や団体の実証分析に道を開いたのがパットナムであり,冒頭二論文は,この立場に立って,日本の市民社会の形成・変化と現状の実証分析に主眼を置いている。

 巻頭の辻中他論文は,政府でなく,営利企業でなく,私的な親密集団でない,自治会,社会団体,NPOを,政治社会のガバナンスを支える市民社会の担い手として捉え,それらを対象に調査を行い,実証分析のための公共財としてのデータを提供するとともに,基本的な分析を行うことにより,仮説の検証のみならず,今後の調査の方向性も探るという目的を持ったものである。市民社会の研究は,実証を重視し,いかにその実現を図って行くかに,今後の研究の成果がかかっているのである。現在の市民社会が過去のそれとつながり経路依存性を持つ以上,現時点における現象の理解に歴史分析は不可欠である。調査やデータの蓄積は過去にさかのぼって行うことはできない一方で,データや資料が欠落,不足しているという理由で歴史分析を避けることはできない。

 鹿毛論文は,この問題を,代替的データを収集し,それらの分析によって検証可能な仮説を立てることによって解決する。データを発掘し収集する地道な方法を提唱しつつ,定量的分析に定性的分析も加え,仮説を検証して行くという提案は傾聴に値する。

 こうした市民社会の観点の重要性は論を俟たないが,他方で,民主主義における,最も基本的かつ効率的な政治参加が,選挙によって担われている事実は変わらない。選挙においては,代表する側の政治家がどのような代替的選択肢を提供するかによって,投票を通じての有権者の選択,すなわち,政治参加のあり方も変わる。
 濱本論文は選挙制度改革前後の議員の政策選好を比較し,有権者の選択の前提条件を明らかにする。
 遠藤論文は,選挙運動と言う直接的手段によって投票参加が促されることを示し,政治参加を考える上での選挙の重要性を改めて示唆する。


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<特集>現代日本の市民社会と政治参加 目次
<特集論文>
日本の市民社会構造と政治参加 辻中豊・崔宰栄・山本英弘・三輪博樹・大友貴史
 自治会,社会団体,NPOの全体像とその政治関与
日本における団体参加の歴史的推移 鹿毛利枝子
 第二次世界大戦のインパクト
選挙制度改革と自民党議員の政策選好 濱本真輔
 政策決定過程変容の背景
選挙運動と投票参加 遠藤奈加
 選挙運動媒体が投票率と地域の得票構造に及ぼす影響
<研究ノート>
行政的分権から政治的自律へ 川橋郁子
 スコットランド,ウェールズにおける分権要求の比較分析
<書評>
月村太郎著『ユーゴ内戦―政治リーダーと民族主義』東京大学出版会,2006年 伊東孝之
大森彌著『(行政学叢書4)官のシステム』東京大学出版会,2006年 稲継裕昭
新川敏光著『日本型福祉レジームの発展と変容』ミネルヴァ書房,2005年 江口匡太
中島信吾著『戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる
 政治・外交・軍事』慶応義塾大学出版会,2006年
坂元一哉
阪口功著『地球環境ガバナンスとレジームの発展プロセス―ワシントン条約とNGO・国家』国際書院,2006年 信夫隆司
黒崎輝著『核兵器と日米関係―アメリカの核不拡散外交と
 日本の選択1960-1976』有志舎,2006年
柴山 太
山本吉宣著『「帝国」の国際政治学―冷戦後の国際システムとアメリカ』東信堂,2006年 田所昌幸
若月秀和著『全方位外交の時代』日本経済評論社,2006年 渡辺昭夫


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◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」


<41号編集後記>
 データ検索が非常に便利になったのは最近の現象で,新聞記事検索でも以前はそれのみに頼るのは危険だった。再分配政策決定過程で修士論文を書いた1980年代後半,私は図書館から生協まで100メートルほどの距離を何度も往復して四紙5〜6年分の縮刷版を一度に4,5冊よろよろしながら運び必要な紙面の拡大コピーをした。最近,修士論文を書く学生に重要な部分のみでも新聞の縮刷版を見ることを勧めた。縦横無尽にデータ検索ができるはずの彼の「記事が紙面のどこにどの位に扱われているかが一目瞭然でとても有益だった」という報告は興味深かった。私の苦労も筋トレ(?)以外の意味もあったようだ。データ検索から得る情報,紙媒体からの情報,人から得る情報,全て異なる。便利さに流されることなく的確に情報を処理することにも研究者の力量は問われよう。(加藤淳子)


 2006年秋から8ヶ月間ミシガン大学日本研究センターの客員教授をつとめた。これまで客員研究員としてアメリカの大学にお世話になるばかりだったから,ささやかなお返しである。もっとも,このポストは教育負担が軽く,むしろ,研究と待遇の特権の方が大きかった。以前の滞米時もオフィスなどよい待遇は受けてきたが,それにもまして,今回は大学が提供してくれたリソースを活用することができ,ファカルティの研究者にとってすばらしい環境が整備されていることに感心した。  授業の方は,関心はあるが知識のない学生たちにアサインメントを読ませ,あれこれと説明し,また質問を投げかけて考えさせると,懸命に勉強してくれた。すべての学生のモラルが高いわけでなく,また,内容のレベル設定には気をつける必要があったが,日本の学生たちとは違う勉学態度が印象的だった。(川人貞史)


 本文にあるように2006-07年にかけて,日本全国の市民社会組織,自治会の1割,電話帳所収団体と登 録NPOの全数,合計15万近くの団体調査を行った(回答は全部で4万弱)。調査会社に委託するのでは なく大学でほとんどの作業工程を行い,一部定型化した作業のみ委託したため,研究室はいつも数名 の研究者や大学院生でごった返す調査工場の様相を呈した。調査自体が設計や実施作業が大変な上に ,大学との作業方法や契約の打ち合わせ,仕様書・報告書作成,内部監査,会計監査,中間報告ヒア リング,現地調査などありとあらゆる「難儀」が降りかかり,大規模調査を推進する楽しさと苦しさ が膚身でわかる毎日を過ごした。公的資金の目的的使用は当然であるが,悪しき意味で官僚制的な不 必要文書や手続きがいかに多いか,しかもそれが事件の起こる度に日々増えていることも痛感する。(辻中 豊)


 道州制論が盛んである。地方分権の受け皿として必要というのであれば,道州制の導 入にとくに反対する理由はない。問題は府県の扱いである。たとえば第28次地方制 度調査会は「広域自治体として,現在の都道府県に代えて道州を置く」と述べてい る。この結論の根底には,平成の大合併による市町村の行財政能力の向上に対する高 い評価がある。だが,合併によって市町村の能力はどの程度まで高まったのだろう か。合併した市町村の人口規模は,実は,人口10万未満の市町村が76%をも占め ている。しかも,2万人台がもっとも多い。この程度の規模の市町村に府県の権限の どれだけを移譲できるというのだろうか。府県を廃止するという主張は,平成の大合 併の効果を過剰評価している。やはりデータは重要である。(真渕 勝)



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◆40号 20周年記念号増頁 政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア(4月15日発行)

〔特集の狙い〕政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア
(文責 辻中 豊)
 1987年秋に創刊した『レヴァイアサン』は本号で創刊20周年40号を迎えた。  創刊号の発刊趣旨において,本誌は,「評論的,印象主義的に日本政治を扱う」それまでの日本の政治学が「実践的関心のゆえに」「通説的見解」を繰り返してきたそのあり方を批判しつつ,「政治的含意にとらわれない自由な解釈の呈示」「方法的な自覚にもとづく多様な分析手法」の導入を謳いあげた。また同様に「日本政治を特殊日本的枠組みで解釈しようとする」従来の「鎖国主義的,孤立主義的傾向」からの脱却を訴え,「普遍主義的な比較政治学の可能性を開」き,諸外国の研究者との積極的な「共同研究や研究会議」を持ちつつ,「分析に柔軟な試行錯誤性を導入し,かつ議論を人格的対立抜きに行うことを可能」することを主張した。

 この20年の日本政治と政治学をめぐる変化は著しい。バブル景気へと続く経済拡張期に保守政権が一党支配を謳歌した中曽根政権期に出発した本誌も,90年前後の冷戦以後,社会主義以後への混迷の90年代の連合政権期を経て,21世紀に入り構造改革を謳い5年の長期政権を担った小泉政権へ(さらに憲法改正を掲げる安倍政権へ),また9.11と第二次イラク戦争後へという,激変した内外の政治環境に直面している。

 こうした政治環境の激変は,政治的決定の意義の重大化を伴うものであり,現代政治分析,日本政治分析の意義を飛躍的に高めるものであった。そうした政治分析の重大化は,政治学の学界環境の変動を導き,既存学会以外に日本公共政策学会,比較政治学会,NPO学会,など新しい学会組織が90年代後半以降に設立され,またJapanese Journal of Political Science (2000〜)や『日本政治研究』(2004〜)などが続いて発刊されたことにもそれを見て取ることができる。

 レヴァイアサンの狙いとした実証的,経験的な日本研究を中心とした現代政治分析は着実な広がりをみせ,日本の政治学界を大きく変容させた。本誌の書評に紹介,検討される経験的な研究モノグラフの蓄積を見ればそのことが了解されるであろう。現代の政治分析において実証的な根拠の希薄な印象主義的研究はほぼ姿を消したといえよう。

 率直に現代日本政治を分析する政治学界の状況を眺望してみた場合,そこに問題点がないわけではない。端的にいえば,意味のある政治のリアリティに焦点をあて,それを弛まず経験的に分析する実証的で説得的な論文やモノグラフ自体は,私たちの期待するほどにはそう数多く生産されているわけではないという点ではないだろうか。

 いうまでもなくこうしたことの背景には,これまでとあまり変わらない政治学者や政治学界が有している制度遺産があるだろう。いわば経路依存的に,「講座」「コース」「講義科目」によって,政治学が中心でない法学部・大学院のなかで,経験的でも実証的でもない研究者が相変わらず再生産される実態も残存する。90年代以降数多く生まれた国際系や公共政策系の学部や大学院において政治学専門に近い研究環境が生まれたとしても,欧米系の理論モデル志向の強さや理論や技法中心的ないわば頭でっかちの研究志向が続いているという側面も考えられる。

 他方でこの10年の期間には,本誌の願った経験的研究の蓄積によって,かなりの本格的で良質なテキストが登場し,それはこうした問題点を克服する一歩であっただろう。しかし,もう一歩進めて若い研究者や大学院生に現代政治分析にチャレンジする,多様な接近法が存在することを積極的にアピールし,議論することこそが必要ではないだろうか。

 20周年を記念する本特集においては,それゆえ,意味ある政治的現実を分析する若い研究者にむけて,必要なリアリティ接近(アプローチ)方法を特集した。紙幅に制約があるため,計量的,数理的,制度的,歴史的,社会学的といった方法論論文そのものではなく,各研究者が考えるアプローチの多様な手法を紹介,検討するとともに,その魅力をアピールしてもらうこととした。その際,執筆要領として次の3点を挙げた。
1)自分の主要な業績に即して(その事例や分析例などを引証,引用するなど),記述する。
2)データや資料収集の困難さやその意義,理論と実証の関連付け,操作化の困難さやその意義なども,できるだけ記述する。
3)学術小論文であるが,若い世代への伝達が容易な論理構成,文体に心がけ,計量的,数理的,また制度的,歴史的,社会学的といった方法論論文そのものではなく,各研究者が考える,現実に切り込むアプローチの多様な手法を紹介,検討するとともに,その魅力をアピールする。
 以下の諸論文がこれまでのレヴァイアサンの論文とはやや異なったタッチ,個性的なものに仕上がっているとすれば,それはこの要領のせいである。  これまで,レヴァイアサンにおいて,常に「方法の意識化」が強調されてきたとはいえ,方法論自体が特集された例は多くはない。 本記念号の執筆は,4名の第一世代の本誌編集同人に加えて,多くの今後の政治分析を担う第一線の研究者にお願いし,アプローチそのものの多面的な百家争鳴を企画した。それゆえ,特集タイトルを「政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア」とした次第である。




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<特集> 政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア 目次
〔第一世代〕
研究の戦略 村松岐夫
 ―高根正昭『創造の方法学』を読みながら
日本政治と政治学の転換点としての1975年 大嶽秀夫
 ―「レヴァイアサンたち」の30年
アジアの政治文化の比較 猪口 孝
政治学とニューロ・サイエンス 蒲島郁夫
井手弘子
〔歴史〕
国際秩序論と近代日本研究 酒井哲哉
政治史研究と現代政治分析 松浦正孝
 ―拙著『財界の政治経済史』をめぐって
外交史と現代政治分析 細谷雄一
〔比較〕
地域研究と現代政治分析の間 大西 裕
現代アメリカ政治研究は何を目指すべきなのか 待鳥聡史
 ―1つの試論
海外における現代日本政治研究 堀内勇作
「比較選挙」研究のすすめ 西澤由隆
〔アクター〕
議員行動における因果的推論をめぐって 建林正彦
官僚・自治体の経験的分析 稲継裕昭
地方政治・政策分析 伊藤修一郎
中央地方関係の理論的分析へのいざない 北村 亘
市民社会の集団・組織分析 鹿毛利枝子
〔選挙・政治参加〕
選挙制度の合理的選択論と実証分析 鈴木基史
政治参加研究における計量的アプローチとフィールドワーク 山田真裕
選挙と政党に関するデータの作成について 品田 裕
選挙過程の実態把握を目的とする研究について 森 裕城
〔方法論〕
ゲーム理論に関心のあるあなたに 曽我謙悟
 ―使い手になるための三つのステップ
日本における政治学方法論へ向けて 福元健太郎
政治学が学際研究から得るもの 谷口尚子
事例分析という方法 内山 融
日本政治研究におけるアプローチのアプローチ 谷口将紀
〔方法的研究例〕
法化理論と日本の通商外交 飯田敬輔
 ―理論と実際の接点を求めて
議会研究 増山幹高
 ―権力の集中と分散
計量政治学における因果的推論 今井耕介
<独立論文>
「対米協調」/「対米自主」外交論再考 保城広至
<研究ノート>
不均一な選挙制度における空間競争モデル 上神貴佳
清水大昌
<書評>
竹中治堅『首相支配:日本政治の変貌』
中公新書,2006年
伊藤光利
伊藤修一郎『自治体発の政策革新』
木鐸社,2006年
北山俊哉
浅野正彦『市民社会における制度改革
 ―選挙制度と候補者リクルート』
丹羽 功
 慶應義塾大学出版会,2006年
本誌で稲継裕昭氏のお名前が裕明と間違っています。お詫びして訂正いたします


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◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」


<40号編集後記>
 ひょんなきっかけから,政治的立場の違いの認識について分析を始めた。対象 の相違を距離で表す人間の認知に関しては1970年代から90年代初頭まで 心理学の分野で盛んに研究されたが,被験者に明度・彩度・色相を変えた色紙 や形や向きを変えた図形といった対象間の相違をスケーリングさせた実験デー タの分析が中心であった。
 政治学では,イデオロギー距離という概念に見られ るように政治的立場―たとえば政党の政策的立場や相違を距離として表すこ とは珍しいことではない。視覚に関わる相違に焦点をあてた認知心理学の研究 に対して,こちらは意味を持つ知的な認識による相違である。全く新しい分野 で,分野の異なる研究者と共同し荒野を歩いているような状態ではあるが,面 白くてやめられなくなってしまった。何とか成果をあげられよう祈るばかりで ある。(加藤淳子)


 著書・論文の本文を読む前に,参考文献や引用文献を見ることが多い。その研究がどのような射程をもつかを知るうえで役に立つからである。引用文献は,著者の主張を補強するもの,記述の典拠となるもの,あるいは,批判の対象かもしれないし,関連する問題を扱った研究への言及かもしれない。いずれにせよ,著者の行論と何らかの形で関連しており,読者にとって参考になる。もっとも,あまりに多すぎると,逆に読者を煙に巻くことにもなりかねないが。
 こんなことを書いたのは,最近,いくつかの本や論文で当然引用されていい文献が引用されていなかったり,引用されていても,典拠として適切に扱われていなかったりしているのを見つけたからである。引用の不備は,たぶん著者の研究の力量を反映しており,そしてまた,著者のマナーも問われかねない。自戒もこめて。(川人貞史)


 20周年記念号編集は,編集・書評委員合同会議に助けられ,30名近くの執筆者の9割以上が締め切りに間にあうしかも読みやすくためになる原稿を(しかし分量「遵守度」には正に執筆者の個性が見られるものの,・・これは皆さん検証可能です)提出するという政治学的には異例の「集合行為」が見られました。これも皆,第一世代からの歴史的遺産であると感謝するとともに,20年の歴史が正に生きていることをよい意味で実感した次第です。
 冬休みは,容易に年越せず冬仕事になるのは毎年のことながら,今年は某著名大学の外部審査評価書を書く(これは締め切りを「過ぎて」おりました)という宿題もあり,楽しく充実した毎日でした。因みに審査とは審査されることなり,というのが偽らざる感想で,振り返って我が身の学問を今年は形にせねばと痛感しました。(辻中豊)


 この2年半,病気で臥せっていました。そのために,レヴァイアサンの編集だけでな く多くの仕事で,みなさんに多大なご迷惑をおかけしてしまいました。昨年の秋頃か らようやく回復に向かい,現在は,体調と相談しながら少しずつ仕事を再開している 状況です。
 とはいえ,この2年半,原稿執筆に明け暮れていた元気な頃に比べるとぼんやりと している時間が増え,テレビなど見て時事的な問題について考える機会がずいぶんと 増えました。こうした時事的な関心が原稿執筆やレヴァイアサンの編集にダイレクト に影響することはないかと思いますが,まったく影響がないともいいきれません。科 学的政治分析と政治評論の関係を真正面から考えることになるかもしれません。私自 身,どうなるか,楽しみにしています。(真渕勝)


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◆39号 2005年総選挙をめぐる政治変化(10月15日刊行)


〔特集の狙い〕2005年総選挙をめぐる政治変化
(文責 加藤淳子)
 実証政治学において,その対象となる出来事や行動を分析する際,それらが分析者と同時代に存在している場合と既に過去のものとなってしまった場合には,異なる問題が生じる。過去の対象を分析する際には,情報や資料を新たに直接得ることができないことが大きな障壁になる一方で,分析者が,その現実を生きていないという意味で,対象と距離を置くことが可能である。他方で,同時代の対象を分析する際には,新たな情報やデータを直接取得することが可能である一方,その時代の考え方や観点,支配的見方等に影響を受けやすくなることは避けられない。そしてこのような困難があるからこそ,人口に膾炙しやすい解釈を再検証することや,特に説明を要しないと暗黙に前提されてきた出来事に新しい意味を見つけることが,分析者としての政治学者の役割となるのである。

 2005年の総選挙における自民党の予想外の大勝は,小泉政権下の日本の政治の帰結として,いわゆる「小泉政治」の意味を象徴しているものと考えられている。小泉首相は,従来の自民党の総裁/首相と異なり,党内の支持やリーダーとの連携を拒否し,党内序列を無視した抜擢人事を行い,有権者からの直接支持を勝ち取ることにより,自民党内の不満を抑え政権を維持して来た。この小泉政権或いは小泉政権下の自民党に対する支持は,小泉首相や彼を支える改革支持勢力を「好ましい」と思う有権者の感情や情緒に依存しており,実際の改革の成果や政治に対する理解によらないといった見方がされてきた。2005年の総選挙に至る過程における小泉首相の行動,メディアによる報道や取材の過熱,その結果としての自民党の予想外の大勝はその見方をさらに裏付けた感がある。小泉首相は,郵政改革実現のため党内の反対を押し切って解散・総選挙に踏切り,改革造反派の選挙区で対立候補を擁立し有権者の関心を高め,選挙キャンペーン中に浮揚した支持に助けられた大勝で,党内の反発を支持に転じた。本特集は,このような起伏に富んだ過程と意外な帰結にとらわれることなく,通説的説明に疑義を呈する形で問題を設定し,小泉政権下の日本の政治の新たな位置づけを探る試みである。

 巻頭の山田論文は,小泉首相への高い支持が,メディア等を通じての直接的情緒的訴えかけに依存しているという見方を,小泉支持層を実際に形成する有権者像を分析し再検証する。小泉首相の支持獲得の手法や小泉支持層が高い関心を集めたにも拘らず,いわゆるポピュリスト的支持層といってもその定義は曖昧であり,小泉首相独自の手法といっても,それが従来型の自民党のリーダーと異なり既成の党組織や従来の政策決定のあり方を無視しているという最大公約数的合意が存在するのみである。論文は,郵政改革への支持獲得戦略の一環として国会に提出された資料において小泉内閣支持基盤と名指しされた「低情報投票者」をまずポピュリスト的小泉支持層と特定する。そして,政治的情報や知識を直接測定したデータを代替するものとして,認知的困難の結果と見なされる世論調査における回答のデータを分析する。論文は,低い政治的認知や小泉首相への好感を持つ有権者が小泉支持層を形成したのではなく,小泉首相の直接的訴えかけに反応しやすいとみなされた女性の支持が小泉首相への好感からではないという結論を導き出す。しかしながら,「小泉ポピュリズム」の解釈からは意外な結論に目を奪われることなく,この人口に膾炙した見方を分析可能な問題として設定し直し,小泉支持層を実際に分析により特定したことに,論文の貢献はより多く見いだすべきであろう。

 2005年総選挙における小泉支持層を直接の分析の対象としポピュリスト的小泉支持層の存在を批判的に検討した山田論文と好対照をなし,品田論文は,2003-4年のデータを援用しそれとの連続性を持って,小泉大勝が,それ以前の,しかも1980年代以来連続的な有権者の自民党支持のあり方をもって説明できるとしたところに新しさがある。これは,政党支持の類型を,有権者の認知的類型にまでしぼりこんで分析をしたために得られた結論である。政党離れが少ない「忠誠派」(しかし政治関与は大きい)と,「消極派」(政治的関与も小さい)に加え,政治関与が小さく政党からも大きく離れている「無党派」の支持を動員したことに,大勝の原因を求めているが,この「無党派」は,その支持を小泉首相が巧みに引き出したとは言え,決して新しい存在ではない。さらに,小泉評価を構成する要因を特定した因子分析(表7)は,小泉政治の「わかりやすさ」を具体的な理由をもって記述する点で興味深い。ここから浮かび上がる,「無党派」像は,政策に関する知識が乏しい(イデオロギーや党派の影響はこの類型でも大きい)という側面より,政治的決断や刷新という側面に敏感に反応するという側面により特徴づけられている。

 小泉政権下の選挙のもう一つの特徴は,野党第一党である民主党が自民党に挑戦し続けたことにある。一方で,民主党が最大野党としての地位を確立しつつも,自民党中心の政権が常態化するにつれ,政党システムに関する論議は下火となった。1996年の総選挙後には,自民党と新進党の二大政党制の成立に関し多大な関心が寄せられたにもかかわらず,である。これは,民主党が,短命であった新進党と異なり,分裂することなく議席を伸ばしたにもかかわらず政権への展望が見えてこないことと無縁でないが,森論文は,2005年総選挙の分析を政党システムに関する議論にまで発展させている。ここで扱われるデータは,選挙制度及び選挙区ごとの投票率や絶対及び相対得票率といった基本的な統計であり,論文はその集計と比較によって分析を行っている。データの分析や数量的手法では,ともすれば複雑でテクニカルな手法がそれだけで珍重されがちであるが,実は最も信頼性が高くそれゆえに説得的な結論が導き出しやすいのは,このような確立された単純な手法である。森論文は,自民党が投票率の増大の恩恵を独占した結果,議席を増大したこと,大敗したはずの民主党が得票という点では大勝した2003年の総選挙と同水準であったことを示す一方で,選挙区別データは,自民党が従来支持基盤として依存して来た農村部での得票が停滞していることを示し,総選挙の結果を裏切る形での将来の自民党支持の不安材料を提示している。小泉政権下の自民党支持の増大が長期的な支持の安定に結びつかないといった指摘は多々なされてきたが,森論文はそれを実際の有権者支持の分布の変化で実証したことになる。論文から汲み取れる政党システムについてのもう一つの興味深い含意は,民主党の他の野党との連携の可能性から政権獲得への条件を考えたところにある。政策的立場や左右イデオロギーにおいては,五政党のちょうど真ん中にあたる民主党の位置は,他の野党と比較した場合の独自性の確保という点では不利であるが,将来の政権獲得の際の連合の交渉を考えた場合には有利なものとなる。選挙における勢力の帰趨とともに政党間交渉が政党システムに影響を及ぼすことを,具体的に競争の条件を場合分けし明確に示しているのである。

 小泉政権のもう一つの特徴は,その改革志向であった。首相の姿勢として明確に現れたこの志向性をめぐって,それが従来のやり方を否定するという意味で斬新であるか,また実際に改革が行われ変化が起こっているのか,そしてそれが効果的に経済パフォーマンスの改善に結びついているのかが,小泉首相のリーダーシップと関係づけられ,関心の対象となった。しかしながら,一方で,改革の「結果」や「成果」が,リーダーシップのみならず,それが実行される時点での経済状況や,既存の社会利益の組織化や連合に左右されることは言を俟たない。実際,日本政治研究においては,政権,特に政権の長の政策的立場は稀にしか政策の変化の原因となり得ないと暗黙に前提され,政策決定や変化を社会経済的利益の組織化のパターンや連合とその時々の政治経済的条件を関係づけ説明する分析が有力であった。樋渡論文は,この観点にたった既存の分析の成果を活用し,小泉政権下の政策変化の何が新しいのか,すなわち何が小泉首相によってもたらされたかを,この従来の分析枠組と整合的に解明する。その結果浮き彫りになったのは,1990年代以来の赤字財政下の拡張的財政政策を転換した2001年の小泉政権下における不況対策の意味である。樋渡論文は,自民党の議席増大がかえって公共事業支出の減少を導くという傾向を,小泉政権下における自民党支持の安定とそれに貢献した小泉首相の党内の年功序列秩序の崩壊によって説明する。そして,小泉政権下における改革志向の本質は,その突出した首相の言動と裏腹に,現存の政治経済的条件の制約の下で取りうる手段を最大に活用する現実主義にあったとする結論を導き出すのである。小泉首相が,党内基盤に依存しないゆえに,党内勢力の財政出動要求を抑えこみ,政策転換に至ったという主張は,前三論文の小泉政権下の小泉支持の分析とそれの政党間競争における含意とあわせ,興味深い。



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<特集> 2005年総選挙をめぐる政治変化 目次
<特集論文>
2005年衆院選における自民党投票と政治的情報量 山田真裕
2005年総選挙を説明する 品田 裕
 ―政党支持類型からみた小泉選挙戦略
2005年総選挙と政党システム 森 裕城
小泉改革の条件 樋渡展洋
 ―政策連合の弛緩と政策過程の変容
<独立論文>
政権党・官僚制・審議会 曽我謙悟
 ―ゲーム理論と計量分析を用いて
投票政党選択と投票-棄権選択を説明する 山本耕資
 ―計量と数理の接点
<書評>
上川龍之進著『経済政策の政治学』東洋経済新報社,2005年 鹿毛利枝子
東京大学社会科学研究所編『「失われた10年」を超えて[U] 上川龍之進
 ―小泉改革への時代』東大出版会,2005年
Junko Kato, Regressive Taxation and the Welfare State: 藤村 直史
Path Dependence and Policy Diffusion, Cambridge University Press,2003.
大前信也著『昭和戦前期の予算編成と政治』木鐸社,2006年 村井良太
小川晃一著『サッチャー主義』木鐸社,2005年 力久昌幸
山口二郎著『ブレア時代のイギリス』岩波新書,2005年


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◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」


<39号編集後記>
 イェール大学博士課程在学中にある教授から奨学金の件で呼び出され明らかに 不当なことを言われたことがある。学生の弱い立場では反論できまいと言わん ばかりの態度に腹を据えかね筋道たてて反論したところ,彼は「You are bold. It's a compliment. (君は大胆だね。これは褒め言葉だ。)」と言っ て即座に私の言い分を認めた。私のような小柄な日本女性が思いきったことを 言うと,その意外性に興味を引かれてか皆言い返された不快感を忘れてしまう ようで,留学中はこのような場合全て相手は私の反論を認めてくれた記憶があ る。理由は何であれ,立場の違いや強弱を超えお互いに率直な意見を言えるこ とはその社会の風通しをよくすると思う。ひるがえって今の日本を思うと心も とない感じがしてならない。(加藤淳子)


 今年の秋からミシガン大学の客員教授として8ヵ月間,アナーバーに滞在することになった。長期間の海外生活は久しぶりである。これまでの2度の長期在外研究では,私の研究に関心をもってくれる人や共同研究者に恵まれて,英文の論文をレベルの高い研究誌(APSR, AJPS)に掲載することができた。アメリカでは共同研究,共著論文の執筆が活発に行われており,単著論文であっても,研究者コミュニティの中で十分な議論や批判を経ているので,事実上の共同研究といってよいかもしれない。今回は,どんな研究者たちと出会い,どんな知的刺激を得ることができるか,どんな相互作用が生まれるか,生まれないか,楽しみである。そして,もちろん,学生たちと会うことも楽しみである。(川人貞史)


 話題のレヴィットとダブナーの『ヤバい経済学』を遅ればせながら読んだ。 評判通りの刺激的な本である。さらに,そこでは,J.Q.ウィルソンの犯罪研究 が,実証的データに裏付けのないいい加減な研究であることが指弾されてい る。基本的な武器は,重回帰分析。因果効果を厳密に検証することで,「専門 家」のいい加減な主張が暴かれていて,小気味が良い。しかし,政治学は因果 効果のみならず,因果関係のプロセスに関心を持つ。両者の関係をどうするべ きか,いろいろ考えさせられる。(久米郁男)


 IPSA福岡大会06年について別に詳細な報告がなされるだろうが,ここでは私的雑感。日本初開催だが ラ米,韓国など非西欧圏や欧州圏の海外参加者が多く,対する日本人研究者はお馴染みの面々以外は 意外と少ないように感じた。プログラムの参加者索引には実際の参加者の7割未満しか載っていなか ったが,日本人は1割未満であった。参加したいくつかのパネルでも,ホテルとの往復バスでも,日 本からの新顔は若い研究者に限られ(貴重な将来の芽だが),海外からは老若男女,学生まで多様に 活気づいていた。9年前の韓国IPSAではパネルのほとんどで韓国研究者が溢れていたのと対照的。 IPSA史上最大の参加者で大盛会なのに,日本人研究者が国際的に発信するという点からは,言葉では なく,内容と意欲の点でまだまだ鎖国的だと感じた。(辻中豊)



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◆38号 行政改革後の政治と行政(4月15日発行)
〔特集の狙い〕行政改革後の政治と行政
(文責 川人貞史)
 2001年1月に中央省庁が再編され,一府一二省庁体制がスタートした。この行政改革と同時あるいは相前後して,わが国の政治と行政のあり方を大きく変える可能性のあるいくつかの制度改革が行われた。行政改革会議は1997年の最終報告の中で,「第一に,内閣・官邸機能の抜本的な拡充・強化を図り,かつ,中央省庁の行政目的別大括り再編成により,行政の総合性,戦略性,機動性を確保すること,第二に,行政情報の公開と国民への説明責任の徹底,政策評価機能の向上を図り,透明な行政を実現すること,第三に,官民分担の徹底による事業の抜本的な見直しや独立行政法人制度の創設等により,行政を簡素化・効率化すること,を目指す」と答申した。
 これにもとづいて,官邸と内閣機能の強化のために,内閣の首長である首相がその指導性を十分発揮できる仕組みが整備され,内閣法改正においても首相の発議権が明記された。また,政策評価機能の充実強化の方針は,政策評価法の制定施行(2002年4月)へと結実した。

 情報公開については,行革会議が設置される前に行政改革委員会・行政情報公開部会が作成した「情報公開法要綱案」が,情報公開法として成立し,2001年4月から施行された。

 これらの動きとは別に,1999年の自民党と自由党の連立政権を契機として国会審議活性化法が制定された。その骨子は,党首の定例の討論の場となる国家基本政策委員会の設置(2000年通常国会),官僚が閣僚に代わって答弁する政府委員制度の廃止(1999年第146回国会),および,政務次官に代わる副大臣と政務官の設置(2001年1月)であった。

 本号の特集は,これらの行政改革によって導入された諸制度がどのように運営されているかを現段階において分析し,それらが政治と行政のあり方をどのように変えつつあるかを明らかにし,今後の日本政治の変化を展望する。



<特集> 行政改革後の政治と行政 目次
〔特集論文〕
官邸主導型政策決定と自民党 伊藤光利
 ―コア・エグゼクティヴの集権化―
副大臣・政務官制度の目的と実績 飯尾 潤
情報公開法と政府の行動 岡本哲和
政策評価制度の運用実態とその影響 田辺国昭
〔独立論文〕
なぜ自治体は規制を避けるのか? 伊藤修一郎
 ―景観条例条文の主成分分析とゲーム理論による説明の試み―
立法における変換 vs 態度表明 増山幹高
 ―国会審議と附帯決議―
〔書評〕
土山實男著『安全保障の国際政治学―焦りと傲り』有斐閣,2004年 梅本哲也
曽我謙悟著『ゲームとしての官僚制』東大出版会,2005年 河野 勝
玉田芳史著『民主化の虚像と実像―タイ現代政治変動のメカニズム』京大出版会,2003年 恒川惠市
新川敏光著 『日本型福祉レジームの発展と変容』 ミネルヴァ書房,2005年 広本政幸
東大法・第5期蒲島郁夫ゼミ編『参議院の研究』全2巻,木鐸社,2004・5年 待鳥聡史
堀江孝司著『現代政治と女性政策』勁草書房,2005年 三浦まり



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◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」
<38号編集後記>
 学生には,現実的なものであれば「一番面白いと思うこと」を研究するように必ずす すめている。私の決して長くはない研究生活の中でも個別の研究テーマから分野と呼 べるようなサブジシプリンまでの栄枯盛衰を見てきた。このテーマをやっている,あ る分野が専門であるというだけで研究が脚光を浴び就職が有利になるということは実 際にある。しかし,そういったテーマや分野程,顧みられなくなるのも早い。流行り であっても自分が好きで研究に取り組んだのであれば後悔はないが,研究の華々しさ にひかれた場合には得るものも少なく次の研究で早晩行き詰まることになる。困った ことに容易に他の関心を集められる研究をしているとそれを好きであると錯覚しやす い。本当の意味での好奇心が研究において重要であるゆえんである。(加藤淳子)


 映画スター・ウォーズが20年以上の年月をかけて完結した。悪に染まった銀河帝国皇帝 とその弟子ダース・ベイダーを,平和と民主主義の擁護者であるジェダイ騎士団にベイダ ーの子ルークが加わって打ち倒し,正義と共和国を復活させる勧善懲悪の物語である。た だ,いろいろと疑問も生じてくる。たとえば,ジェダイ騎士団は正義の超能力を持つエリ ートで共和国軍の将軍たちであり,皇帝は共和国元老院によって選出された宰相だった。 そして,宰相が悪に染まったことを知った将軍たちが逮捕に向かって,返り討ちにあい, ジェダイ騎士団は殺害・追放されて,帝国が誕生する。将軍たちが首尾よく宰相を逮捕で きていたとすれば,これは一種のクーデタであり,どんな民主的な解決が生じていたのか, よくわからない。宰相は「善は一つの見解にすぎない」とも言っている。こんなことを言 ったら,家族からうっとうしがられてしまった。(川人貞史)



 大学院教育改革として,本格的なコースワーク制の導入の検討を始めた。方 法論科目を全院生に必修とし,複数研究領域の修了試験合格を後期課程進学の 条件とするなどかなりラディカルな改革案になりつつある。どのあたりに日本 の大学院政治学教育としての特色を出すべきか,いろいろ考えさせられる今日 この頃である。(久米郁男)



 昨秋,北京大学公民社会研究中心の成立大会「転形期中国公民社会的発展」に招かれた。英文では Center for Civil Society Studiesという。会議は10パネル,参加者に40論文,672 頁の大部の冊 子が配られた。欧米亜から30,総計100を越す招待者の中で日本人研究者は中国専門家でない私一人。 中国語を解せず必死に同時英訳に頼っているのもUNDP代表と私の二人だけ。それでも中国社会主義 の民営化と市場化は政府でない公共性と社会制御の担い手を社会団体に求めている熱気に煽られる とともに,一党支配下ではなお公民社会としてそれは表現されることにも引っかかる。で,ふと我 に返る。公民教科書,公民館,日本と同じ表現ではないか。無限に連想が湧く。他方利益集団と しての中国社団という私の発表に多くの参加者がそうだと肯いた顔も印象に残った。(辻中豊)
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◆37号 90年代経済危機と政治(10月15日発行)
〔特集の狙い〕90年代経済危機と政治 
(文責 久米郁男)
 第2次大戦後,経済成長と政治的安定を両立させてきた戦後政治経済体制は,1970年代から先進諸国で徐々に機能不全の兆しを見せてきた。1980年代,多くの先進民主主義国において進められた新自由主義的改革は,このような機能不全に対する政治的対応であり,各国の政治経済体制の変容をもたらした。この改革の背後には,慢性的な赤字財政が公共セクターのさらなる拡大を困難にしたことおよび,国を基本単位とする政治体制とグローバル化する経済との緊張が高まってきたという事情があった。日本は,80年代中曽根内閣時代に同様の新自由主義的改革を志向したものの,バブル崩壊まではむしろ自由市場経済とは異なる資本主義体制であると理解されることが多かった。しかし,そのような日本もバブル崩壊後の経済苦境の中で,本格的な新自由主義的改革を進めざるを得なくなったのである。

 しかし,日本を含めた先進国における新自由主義的改革は,自由主義的市場経済への収斂へとつながったのであろうか。80年代から90年代にかけて同じような経済的困難や危機に直面した先進国はそれぞれに異なる政治的・政策的対応を見せてきた。このような対応の差異に注目して,比較政治経済学の分野では「資本主義の多様性」論が有力に主張されることとなった。そこでは,先進資本主義諸国に,自由市場型経済体制と調整型市場経済体制が併存し続けていることが強調された。

 本特集は,日本政治学会とヨーロッパ政治学会の共同事業としてスタートし,その後独立行政法人経済産業研究所のプロジェクトとして進められた,日米欧の政治学者による共同研究の成果によって構成される。そこでの課題は,調整型市場経済の代表例と分類される日本,ドイツ,スウェーデンの3カ国における「経済危機」への対応に,いかなる類似点と相違点があるのかを解明することによって「資本主義の多様性」論をさらに発展させることである。


<特集>90年代経済危機と政治 目次
金融システム危機管理の比較政治学:
日本とスウェーデンにおける制度と責任回避戦略
上川 龍之進
真渕 勝
T・スヴェンソン
政治的課題としてのコーディネーション:
調整型市場経済における労使関係の変化
久米郁男
K・セーレン
政府の党派性と経済運営:
日本とスウェーデンの比較
加藤淳子
ボー=ロススタイン
小選挙区,比例代表,政治危機:
ヨーロッパの観点から見た日本
E・イマグート
S・ヨッフム
<研究ノート>
我が国の地方政府体系における統合・分化に関する実証研究 野田 遊
地方公社の統廃合と知事の交代 松並 潤
<書評>
猪口 孝著『「国民」意識とグローバリズム』NTT出版,2004年 河田潤一
村井良太著『政党内閣制の成立 1918-27』有斐閣,2005年 川田 稔
建林正彦著『議員行動の政治経済学』有斐閣,2005年 斉藤 淳
池田直隆著『日米関係と「二つの中国」』木鐸社,2004年 佐藤 晋
蒲島郁夫著『戦後政治の軌跡:自民党システムの形成と変容』岩波書店,2004年 西川美砂
佐道明広著『戦後日本の防衛と政治』吉川弘文館,2003年 道下徳成
足立研幾著『オタワプロセス:対人地雷禁止レジームの形成』有信堂,2004年 宮岡 勲
信夫隆司著『国際政治理論の系譜』信山社,2004年 宮下明聡


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◆真っ先に読まれる編集後記
<37号編集後記>
 最近,政治家の離党や入党など政党間の移動行動(party switching)の比較を海外研 究者と行っている。政治家個人の動機づけに加え制度や環境の影響を分析する研究 で,これらミクロ及びマクロレベルの分析の関係について興味深い発見があった。各 国事例は,政党間移動が頻繁になりそれに対する批判が弱まるとますます移動が活発 になり,そのような行動がまれであり批判が強いという場合に大きく分けられるが, この二分化した状態がどの時点でなぜ入れ代わるのかに関しては説明が難しい。日本 でも少なくとも政治家の間では1993年以降政党間の移動に関する見方が大きく変わっ た。方法論的個人主義と(広義の)制度や構造を重視するアプローチは政治学におい て対立してきたが,この対立図式自体が分析に限界をもうけているような気がする。


 研究を行う際には,分析データの作成・整理とともに,さまざまな資料や文献の入手が欠かせない。大学の図書館に所蔵されているものを利用できれば一番だが,なければ,購入するか取り寄せることになる。書籍や雑誌論文などは図書館の相互利用サービスによる文献複写,現物借用が便利である。電子ジャーナル化がかなり進んだ外国雑誌の論文は,ダウンロードする。また,私が専ら行っている国会研究では,戦後すべての本会議,委員会を瞬時に検索できる国会会議録検索システムが便利である。そして,国会図書館所蔵のさまざまな第一次資料は,文書目録をもとに複写サービスによって入手する。しかし,研究を進めるための仮説とその実証方法の考案が最も重要であることは,いうまでもない。資料をただ読みあさっても何も出てこないからである。(川人貞史)


    政治学の海外ジャーナルからレフェリーを頼まれる機会があると,できるだけ引き受けるようにしている。このシステムは,研究者のコミュニティーがボランタリーに支えるべき「公共財」のようなものだと思うからである。しかし,どのレベルの論文を掲載可と判断するかは,なかなか難しい。依頼には,通常,本ジャーナルにふさわしいかという基準で判断してほしいとある。ジャーナルのランキングオーダーをも意識しながらの判断となるからである。日本でも,レフェリー制ジャーナルが増えつつある。どのようなランキングが生まれてくるのか,老舗(?)の本誌はどう評価されるのか,興味深い。臨時雇いの編集委員故の無責任な感想と叱られそうだが・・・。(久米郁男)


    前号で書いた「世界最小の公的セクターで最大の財政赤字」問題は現実政治の方で持ち越して,本号が出る頃には郵政絡みで政界混乱(?)。問題は一般会計からその倍以上の特別会計へと拡大すべきだが,政界的にも政治学的にもすっきりとした分析に出会わない。他方,国立大学も法人化し,特定教員に対する一%から一割削減まで,ここでも一律に減らし,一部戦略的配分との潮流だが,やはり少し腑に落ちない。公的セクターの意義を曖昧にしたまま効率万能でいいのか。大学もやはり日本は「世界最小の大学セクター」。スタッフ少なく財政支出も世界最小規模で期待値も最低である。公的なものへの根本的な意義が議論されないまま,削減の嵐にどう抗するか。楽しく比較市民社会研究を遂行しつつ,矛盾に腹立たしい毎日でもある。(辻中豊)

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◆36号 日本から見た現代アメリカ政治(4月15日発行)
〔特集の狙い〕日本から見た現代アメリカ政治 
(文責 辻中豊・田中愛治)
 現代のアメリカ政治,1990年代以降の変化を,日本の視角からどのように把握できるか,が本特集のねらいである。2004年の大統領選挙をめぐって様々な議論や分析がなされたが,もう少し分析的,構造的にアメリカの政治の変化を捉えてみたいという考えから,現代アメリカ政治に関心を持つ研究者,チームに論稿を依頼した。本来は,これに市民社会での変化を分析する編者の一人の論稿と宗教団体のサーベイ分析を含める予定であったが,時間の関係で割愛せざるを得なかったのは遺憾である。
 
 アメリカ現代政治に対して,日本の政治学者は,伝統的に歴史的な接近をする傾向があった。逆に言えば,現代政治への直接的な調査や分析を躊躇するところがあったが,近年,そうした歴史的な偏りを克服する優れた政治学的業績が現われはじめており(注1),本特集もそうした流れを反映しようとしたものである。  編者達の意図としては,日本の政治学者が日本という場・日本人研究者という視角から,アメリカを分析することに対して,アメリカという場,・アメリカ人研究者という視角とは異なる積極的意味があることを,この特集に込めてみたかったのである(注2)。

 現代アメリカの政治学や政治を分析・研究することは,特にアメリカ政治を専門としない日本の現代政治研究者にとっても研究の一側面として,ある程度不可避なものとして存在する。それは,現代政治研究にとってのアメリカ政治学の比重の大きさから言えることである。アメリカ政治学は,少なくとも経験的分析の領域では,世界政治学の役割を一定程度担っているからである。無論,こういったからといって西欧政治学やアジアほかの現代政治学の意義を貶めるものではない。  他方で,アメリカの現代アメリカ政治研究は,日本の研究者を圧倒する質・量的な蓄積を持つと同時に,専門分化と政治学術ジャーナルのもつ傾向ゆえに,高度に専門性を突き詰めたために従来の政治学から乖離するほどの視野狭窄性や技術的な性格を持つようになってしまい,分析前提に首をかしげざるを得ない場合や些末主義的な傾向を示している場合も多い。  逆に言えば,そうした拘束からある意味で自由な点に,日本など外国研究者の現代アメリカ研究にもつ意義が生まれるのである。

   外国研究は,基本的な出発点として比較研究である。今回の特集に明示的な日本との比較は含まれないが,日本の政治や政治学を背景として現代アメリカ政治や政治学に触れる時,程度の差はあるが,日本という場や研究の持つ文脈や性格が反映した研究関心や接近法が生まれる。日本の研究者がそうした存在拘束的な背景をもつこと自体が,実は現代アメリカ政治の分析にとって負の特徴ではなくメリットなのである。

   本特集は,1990年代以降の現代アメリカ政治に対してほぼ時系列的に4つの異なる角度から接近する。
 久保論文は,第41代ブッシュ政権(1989年1月から93年1月)の時期,特に1990年秋に焦点を合わせ,現在の43-44代ブッシュ政権(2001年1月以降から現在)において実権を握る共和党保守強硬派とは異なる「より優しいアメリカ」志向保守(親のブッシュ政権)に対して,保守強硬派がいかに対立し,台頭していくかを詳細に分析する。それはブッシュの民主党クリントンへの大統領選挙での敗北につながっただけでなく,共和党そのものを変質させ,現在のブッシュ政権の基盤を形成していくのである。久保氏は別稿で,民主党でも同様な変容が逆向きに生じ,イデオロギー的なリベラル化が進行したことを分析しており,民主・共和のイデオロギー的に両極化していく過程を形成的・政治過程的に説明している(注3)。

 久保論文でも指摘されたイデオロギー強化された2大政党制を背景として,待鳥論文は,クリントン政権期(1993年1月から2001年1月)の重要な内政的な立法,1996年情報通信法の立法過程を事例としつつ,近年往々にしてみられる,分裂政府(大統領を握る政党と議会多数派政党の分裂)下でいかにして大統領が議会において支持連合を形成しているかを,立法過程の軌跡を丁寧にトレースしつつ,計量的にも分析している。分裂政府のもとではいうまでもなく大統領は法案通過に対して野党の支持者に期待せざるをえず,そのために中道的なスタンスをとりつつ,世論でのアジェンダ設定など様々な戦術を行使する。ではどのような野党議員がそれに呼応して大統領に協調するのかという興味深い問いに,立法過程分析と計量分析を駆使して答えようとしている。

 ゴールドスミス・堀内・猪口論文は,21世紀に入って,9.11以後にブッシュ政権が行ったアフガニスタン戦争に対する国際世論を,同時期になされた63カ国世論調査データを用いて計量的に分析する。アメリカの外交(戦争)政策に対するアメリカ以外の国々での世論の有り方を,3つの理論モデルを用いて検討している。アメリカの政策そのものやアクターそのものの分析ではないが,政策アクターが外交政策決定する際に考慮する国際世論がいかなる要因によって規定されているかを浮き彫りにしている。

 最後の豊永論文も今世紀の共和党ブッシュ政権期を対象とし,その性格付けに関する検討を行っている,注目するのはテクノロジー政策である。同政権は一般に内政外交ともの「保守」強硬派の政権と規定されるが,その背後で新産業,ハイテクノロジー政策への戦略的方向が存在することを政策アクターの文書の検討から析出し,ハミルトン的特徴と規定する。新ブッシュ政権は単なる小さい政府ではなく新しい積極政府主義が胚胎していることを主張する。
 以上のような各政権や現代アメリカ政治を性格付けるいわばマクロな政治分析は,日本という場から,日本人研究者という観点から特に興味深い点であり,またそれゆえにメリットになりうる視角であろう。
 本特集が,こうした現代アメリカ政治への日本からの貢献にどれほど寄与したかは読者の判断に委ねるとして,比較政治としての現代アメリカ政治研究の観点を推し進めるというねらいをもって本特集は編まれたのである。

  (注1) 待鳥聡史『財政再建と民主主義−アメリカ連邦議会の予算編成改革分析』有斐閣2003年。鈴木創「アメリカ議会下院における複数委員会付託の情報的・党派的決定要因」『法学論叢』151巻4号など。テキストでは阿部齊・久保文明『現代アメリカの政治』放送大学教育振興会2002年など。
(注2)こうした観点から辻中は,日本など7カ国と共通した枠組みで2000年にアメリカの市民社会組織全般へのサーベイ調査をワシントン地域とメリーランド州で行っており,それをもとにした日米比較を執筆編集中である(『現代アメリカの市民社会・利益団体』木鐸社)。
(注3)久保文明「米国民主党の変容−「ニュー・デモクラット・ネットワーク」を中心に」『選挙研究』17(2002年):71−83。また同「近年の米国共和党の保守化をめぐって−支持団体連合との関係で」『法学研究』75巻1号(2002年)101−135。



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第36号の目次
<特集論文>
G.H.W.ブッシュ政権(1989-1993)の国内政策と共和党の変容:米国の政党内イデオロギー闘争の一例として 久保文明
連邦議会における大統領支持連合の形成:1996年情報通信法の立法過程を事例として 待鳥聡史
「国際世論」の理論モデルと実証方法:米国主導のアフガニスタン戦争を誰が支持したか B.E.ゴールドスミス
堀内勇作
猪口孝
ジョージ・W・ブッシュ政権とテクノロジー政策 豊永郁子
<独立論文>
国際的不況とディスインフレ的経済規律: 経済政策における選択肢と90年代長期経済停滞の日本・スイス比較 樋渡展洋
現代日本の選挙過程における情報フロー構造 境家史郎
<書評>
中北浩爾著『一九五五年体制の成立』東京大学出版会,2002年 河野康子
谷口将紀著『現代日本の選挙政治:選挙制度改革を検証する』東京大学出版会,2004年 堤 英敬


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真っ先に読まれる「編集後記」

 なぜ政治学を学ぶのだろうか。「“デマゴーク”の意味を具体的事例をあげて説明せ よ」という試験問題を考えてみる。これに的確な回答を書ける一方で実際にデマゴー クに遭遇した時に扇動されてしまう人間と,試験では成績優秀とは言えない一方で実 際にデマゴークに遭遇しても警戒して扇動されない人間とどちらが政治学ができると 言えるだろうか? 私としてはもちろん後者としたいが政治学の試験においてはこれ は確かめられない能力である。これに対し,概念を学ぶことが実際の現象を正しく理 解することにつながるという反論をし上記の対比自体を非現実的と疑問視する政治学 者が大多数かもしれない。しかし私は言葉による知識のみでは自らの知覚や認識能力 を研ぎすまし現実を観察するには不十分ではないかと思う。政治学は人間の本質を追 求する学問であるという原点に立って謙虚な気持ちで現実を観察する姿勢を忘れない でいたい。(加藤淳子)


 今回は個人的なお話。仙台に住んで11年が経ったが,数年前からスギ花粉症を発症して,春になると目と鼻がむずがゆくて大変である。もともと田舎育ちであり,実家のすぐ裏が山で,近くには立派な杉山と杉並木もあった。だから,そんな私がスギ花粉症とは本当はおかしいのだが,どうも,花粉の種類が違うのか,といぶかっている。戦後,全国的に植林を奨励して,生育の早い改良品種のスギを大量に植えたのではないか,そうした作為が,思わぬ被害を多くの人々に及ぼしているのではないか,などと考えながら,大学の駐車場に停めた自動車が夕方にはびっしりと黄緑色の花粉でおおわれる季節を迎えている。今年は昨年をはるかに上回る飛散量ということで,花粉対策メガネとマスクが離せないし,研究室と自宅には洗眼薬が必需品である。(川人貞史)


 次号では,日本政治学会とECPRの国際共同研究プロジェクトとして組織し,独 立行政法人経済産業研究所の支援を受けた「危機の政治学」研究会の成果を特 集する。そのために現在,真渕勝編集委員と共同編集作業を行っている。国際 共同研究は,うまくいけばそこに「化学反応」が生じて,興味深い知的営為と なるが,参加者がバラバラに研究を出し合うだけでは意味が薄くなる。そこ で,研究会を組織する立場になると「化学反応」を起こすような仕掛けを工夫 するわけだが,これが結構難しい。先人の苦労をかみしめつつ,次回はただ乗 りをしようと考えるこのごろである。(久米郁男)


 初めての試みとして本号を田中愛治氏とともに共同編集した。過日,郵政改革について優れた研究をした米人研究者の発表があり,討論者としてコメントをつけるためににわか勉強をする機会があった。そこでいつもの逆説にぶつかった。つまり,「日本は世界で最も小さな公務員規模を持ちながら,なぜ世界で最大規模の財政赤字に苦しんでいるか」である。普通の企業では労務費は最大のコストであるが,日本の公的セクターはそれを十分削ってしまっているはずだ。だとすると,事業費の使途がよほど無駄使いが多いということになるのか。大抵の構造改革論者は,官僚を叩き公務員規模を減らすことが改革と誤解しているようだが,問題の核心はそこではない。にわか勉強ではここまでだが,この号がでるころにはもう一歩答えを前進させておきたい。(辻中豊)


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◆35号 比較政治学と事例研究(10月15日発行)
〔特集の狙い〕 比較政治学と事例研究
(文責 加藤淳子)

 本号の特集のテーマは「比較政治学と事例研究」である。ここでは,各論文を紹介する代わりに,特集のテーマに沿って比較政治研究をする際の事例と理論の関係について考えたい。
 今回の特集のテーマを設定するに至った理由は,比較政治学分野において,地道な事例研究より方法論や理論に関する議論の方が重視される傾向が見られることに危惧を抱いたからである。この傾向は実はよりよい比較政治研究を目ざした結果生じた皮肉な帰結である。たとえば,近年,研究者にとって最初の業績となるはずの博士論文においても,複数のケースを扱い,リサーチデザイン,仮説の設定,概念の提示等,明確な理論枠組に基づいて事例を展開することが求められるようになってきた。複数のケースの比較の方が,分析の対象となる要因や現象を同一に保ったり変化させたりと推論する可能性が広がり,ある特定の視座に基づいて比較する以上,それを明確化するという意味で,方法論重視,理論志向が強まるのは本来なら好ましいことである。

 しかしながら,ここに大きな落とし穴がある。比較における事例研究というのは,職人仕事のような側面があり,いかに比較のやり方,それにまつわる理論や概念を理解したところで,実際に事例を比較する際にそれを適切に使えるとは限らないからである。たとえば,日本の伝統的な織物の工程には麻など植物原料を細く割き長くつないでよりあわせる――績む――という作業があるが,糸をなるべく切らないで細く長くつないでいくには,その日の湿度や温度等環境条件によって糸を績む強さややり方を変えていかなければならない。これは長年の作業に従事した経験による職人の勘によって可能になる。勘と言ってもここに「理論」がないわけではない。たとえば環境条件を細かく分類し,それぞれに対応する糸をひく力を計測することは可能である。そしてその「理論」は職人の勘に基づいた技術と一貫しているであろう。ただ,ここでは,詳述した膨大な理論的記述より職人が身につけた技術や勘に依存する方が作業を行う際に現実的なだけである。また,これは私達が,糸を績むための「理論」を理解することで長年の経験を積んだ職人のように糸を績めるようになろうとするのが非現実的であるのと裏腹である。

 比較政治研究もこの点は同じような性格を持っている。方法論を学び,いかに理論を理解したところで,実際の事例に直面してそれを使うことはやはり別のことである。比較政治研究を始めたばかりの研究者は事例を調べることによって初めてこの方法論や理論を使うやり方を学ぶことになる。しかしながら初期の業績の段階から複数のケースを比較することを要求されるようになると,事例を調べそれに基づいて方法論や理論を使ってみるという作業を地道に行うことがかえって難しくなる。たとえば一国のケースになら自分で実際に現地に赴きインタビューを行ったり一次資料を集めたりという形でふんだんに注ぎ込める時間とリソース(研究にかかる費用や労力)でも複数国のケースでは十分でなく,それを有効に使うには個々のケースを効率的に処理することが要求される。結果として,数量分析を行ったり,二次資料にある程度まで依存せざるを得なくなることが多くなる。数量分析自体は有用な方法であり,主要なケースを補う形で他者のリサーチに依存した二次的なケースを使うことも比較政治学では広く行われてきた。しかし,これらがいくら有用であると言っても地道な事例研究で得られる知識を代替することはできないのである。比較政治学の方法論と事例研究は不可分であり,ケースをきちんと調べるというのは全ての比較の基本でありそれを行わない限り方法論は身につかず,理論のための理論しか生み出せなくなる。政治学においては,現実を知ることに役立たない理論は意味はない。

 方法論と事例研究及び事例比較研究の緊張関係を理解するには,既に政治学の分野で方法論のテキストとしての地位を確立したキング,コヘイン,ヴァーバの教科書の例を引くことができる(Gary King, Robert O.Keohane, and Sidney Verba. 1994. Designing Social Inquiry. Princeton: Princeton University Press. 邦訳 真渕勝監訳『社会科学のリサーチ・デザイン』,勁草書房,2004年)。この教科書に網羅され整理されている方法論,仮説の立て方,ケースの選び方,仮説の検証の仕方等のポイントは,全てそれ以前の比較政治学の方法で議論されてきたもの,より正確には議論されてきたことから演繹的に引き出せるものであり,全く新しいというものはない。これは,この本がよい教科書だからである。今まで使われ有効性が確認されている方法をわかりやすい言葉で(これをキング,コヘイン,ヴァーバは量的分析の方法を質的分析に応用することで行っている)網羅的に,初学者のために整理して詳述したのである。言い換えれば,今まで研究者が研究を行う際に問題に直面し自分で身につけなければならなかった方法論が既に要領よくまとめられ明確な言葉を選び記述してあるのである。

 一方で,このキング,コヘイン,ヴァーバの方法論に対しては,第一級の業績をあげた多くの比較政治研究者から実際の実証研究を行う際に適切な方法でないと言う観点から批判やコメントが浴びせられた(たとえば,“The Qualitative-Quantitative Disputation: Gary King, Robert O.Keohane, and Sidney Verba's Designing Social Inquiry,” American Political Science Review, vol.89, no.2, June 1995)。このやり取りから,私達は方法論と事例を用いた比較研究の緊張関係をよりよく理解することができる。両者の見解の相違点,賛否の別れた点を確認していくと,多くの場合,批判者が彼等の方法を(記述された通りに)比較に用いた場合に生じ得る問題をもってコメントをしているのに対し,キング,コヘイン,ヴァーバはその問題もまた彼等の方法論によって解決し得ると指摘された論点以外の(彼等の教科書に網羅してある)論点を使って答えている。この点において,キング,コヘイン,ヴァーバと批判者の議論は見事に平行線をなしている。

 では,どちらが正しいのか? 実は両者とも正しい。彼等の議論は平行線をたどることによって,まさに方法論が事例の解釈や比較に応用された際の緊張関係を表わしているのである。確かに,キング,コヘイン,ヴァーバが記述したように方法論は一般的な形で詳述できるであろう。しかし一方で,批判者達が多くの論点をあげたように,研究者がもし一般的記述のみに依存し方法論を理解した場合には,結果として不適切な方法を用いる場合が十分考えうるのである。それを防止するためには,キング,コヘイン,ヴァーバが批判者へ返答したように一般的記述から演繹したりその論点を結合したりする作業が必要になるが,こうした起こりうる疑問点や問題を全て詳述した教科書を書くのは不可能である。また批判者達が,キング,コヘイン,ヴァーバの一般的記述に問題を見い出すのは,彼等が教科書に書いてあった知識でも自分が実証研究に使うことができた時つまり体得できた時には全く別のものになっていることを知っているからである。

 親切な方法論の教科書がある時代に研究を始めた研究者にとっては,それ以前の研究者が自力で到達した知識を教科書によって効率的に学べるのは有利な条件である。一方で,これは陥穽ともなりうる。教科書に書いてある一般的記述としての方法論と研究者が自力で到達した経験的な方法がたとえ論理的に一貫していたとしても,比較研究の現場で威力を発するのは後者のみだからである。教科書を読み理解することと実際の事例を前にその有用性を納得することは全く別なのである。近年の理論重視の傾向は方法論に関する議論が整理されそこから効率的に知識を得ることにより拍車がかかっているため,現実の分析に役立つという意味での真の理論重視から乖離する可能性がある。

 本号の特集では,事例研究を重視するという姿勢が明確な論文を掲載した。興味深い現象の理解のためには既存のもの以外の概念や理論に取り組むことが必要である。そのための概念構成を試みる論文もやはりよりよい事例研究を行ない比較を進めるのに不可欠である(小川論文)。既存の理論枠組を応用して事例を以前と異なる観点からとらえることは,またそこからフィードバックし理論に新たな有効性,含意を発見することにもつながる(北村論文)。最後に繰り返しになるが,比較政治研究の基本は,事例研究であり事例を丁寧に調べていくことが比較の方法を実直に応用できる第一歩なのである(高松論文)。

 
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35号目次
<特集論文>
ヨーロッパ政治と「憲法化」―法システムと政治システムの間― 小川 有美
都道府県の法定外税導入の分析北 村  亘
社会資本整備の政治過程における決定のルールとアリーナ高松淳也
<独立論文>
政治的対立軸の認知構造と政党―有権者関係平野 浩
沖縄県民投票に関する計量分析
―迷惑施設をめぐる有権者の投票行動―
塩沢健一
国会中心主義と議院内閣制川人貞史
<誌上論争>
〔解 題〕 議会研究と国会研究の間で待鳥聡史
〔批判的書評〕 国会は「多数主義」か「討議アリーナ」か?
  増山幹高著『議会制度と日本政治 議事運営の計量政治学』(木鐸社,2003年)をめぐって
福元健太郎
〔応 答〕 福元書評に対するコメント増山幹高
<書 評>
納家政嗣著『国際紛争と予防外交』(有斐閣,2003年)赤根谷達雄
牧原出著『内閣政治と「大蔵省支配」――政治主導の条件』(中公叢書,2003年) 大山耕輔
西平重喜著『各国の選挙――変遷と実状』(木鐸社,2003年)加藤秀治郎
川人貞史著『選挙制度と政党システム』(木鐸社,2004年)品田 裕
大山礼子著『比較議会政治論
―ウェストミンスターモデルと欧州大陸型モデル』(岩波 書店,2003年)
高橋直樹
唐渡晃弘著『国民主権と民族自決
―第一次大戦中の言説の変化とフランス』(木鐸社,2003年) 
坪井善明
待鳥聡史著『財政再建と民主主義』(有斐閣,2003年)  中林美恵子
大矢根聡著『日米韓半導体摩擦〜通商交渉の政治経済学』(有信堂,2002年)
中戸祐夫著『日米通商摩擦の政治経済学』(ミネルヴァ書房,2003年) 
野林 健
的場敏博著『現代政党システムの変容:90年代における危機の深化』(有斐閣,2003年) 吉野 孝

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真っ先に読まれる「編集後記」
<35号編集後記>
 今回担当した特集である比較研究においては語学の能力の有無が問われることが多い。私はこの点に関し近年興味深い経験をした。フランスのCSGと言う租税は一般社会税とも直訳される。先行研究の著者が仏語でインタビューを行っていたことを知りそこまでの能力がない私が研究する意味があるか疑問に思っていたある日のことである。その先行研究をよく見るとCSGのCが税でなく保険料に対応するとされている。仏語では税も保険料も同じCで始まることから来る間違いである。しかしそれを仏大蔵省の官僚に告げると「誤訳するのではCSGを理解していないことになる」と返事が帰って来た。実際CSGは社会保険料財源を代替するという役割がありこれは単純なミスではすまされない。言葉が操れるということが重要であることは論を俟たない。ただもし自分に本当に興味のあるテーマであれば語学の能力が完全でなくても取り組んでみるのもいいかもしれない。(加藤淳子)


 参院選の直後にこの編集後記を書いている。今回の選挙結果は,自民党が現有議席の51議席に届かない49議席だったが,公明党とあわせて参議院の安定多数を確保した結果,小泉政権は続投することになった。年金問題やイラク多国籍軍参加問題に対する有権者の怒りも98年参院選ほどの惨敗をもたらさなかった。年金問題の不手際は,衆議院通過後になってから,実は厚生年金の給付水準が当初の説明と異なり受給開始後に50%を下回ることが判明したことや,法成立後に出生率が1.29と発覚したことなど,プリンシパルである内閣・大臣に対してエイジェントとしての行政官僚制の側が引き起こしたモラル・ハザードといえる。官邸主導,内閣主導が見事に空洞化している様を如実に示す例であり,これが小泉改革のリーダーシップだったのである。(川人貞史)


 比較政治学会「比較の中の日本政治」パネルで大嶽秀夫,ペンペル,加藤淳子報告に 山口定,久米郁男両名の白熱した討論を聞き,政治分析は何を目指すかが,今も論争 的であることを痛感する。大嶽氏の言うようにレヴァイアサン創刊前と現在の研究状 況が同じとは思わないが,なお現代分析に欠けた重要な側面があることも事実であ る。マクロで動態的,文脈的に意味のある分析に対して,技術的にスマートだが,遠 い,狭い,静態的な研究になっていないか。自分自身近年は市民社会比較による政治 構造認識に力点をおいてきたが,学生に政治を解説する必要から,紛争の伝染や紛争 の転位を論じたシャットシュナイダーを再読した。合理的選択でなく多面的な紛争間 競合に動態的な理論化の端緒を見出せるのではないかと思案し始めている。(辻中 豊)


 法科大学院が発足した。それに対抗するようにいくつかの大学が公共政策系大学院を 立ち上げ,あるいは準備を行っている。法科大学院とは異なり,公共政策系大学院 に,確立したイメージはまだない。公務員試験とリンクされていないことが,大きな 理由である。  気がかりは,将来の公務員,とくにキャリア官僚がどのようなルートを通じて採用 されるのかということである。法科大学院を経て法曹資格をもつものが官僚になり, 嫌になれば法曹界に行けばいいのだとう意見も耳にする。社会的な流動性が高まるの は好ましいというのが,理由である。明らかに,彼らは「職場の移動」と「職業の移 動」を混同している。  とはいえ,責任の一部は公共政策系大学院の側にもある。いっそう明確なイメージ を確立することが求められている。(真渕 勝)
 

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◆34号 政官関係(4月15日発行)
〔特集の狙い〕 政官関係
(文責 川人貞史)

 「政官関係」は,政治と官僚との関係をさす言葉であるが,頻繁に使われるようになったのは1990年代以降である。あわせて使われている言葉は,「官僚主導」に代わる「政治主導」である。官僚主導は,これまで,戦後日本における自明の特質と考えられてきた。80年代において,『レヴァイアサン』創業世代の編集委員たちも参加した,日本の民主主義体制に関する活発な論争があったが,そこでの政治家の影響力増大を指摘した諸研究も政治優位論でしかなく,政治主導ではなかった。これに対して,90年代以降における政官関係の焦点は,官僚主導の揺らぎと政治主導の確立が生じつつあるのかどうか,そして,もしそうならば,それによって政治過程がどのように変化してきているかということである。

 1993年夏に登場した非自民の細川護煕連立政権以来,政策アジェンダが一新され,この10年間で政治改革(選挙制度改革,政治資金改革,政党助成),国会改革(政府委員廃止,党首討論導入),行政改革(中央省庁再編,内閣機能強化,副大臣,政務官設置,情報公開,地方分権,規制緩和,特殊法人改革),経済改革(財政構造改革,金融システム改革)など広範な領域にわたる改革の試みが推し進められた。『レヴァイアサン』は,これらに関する特集を組んだり,あるいは,これらに関する実証研究論文を掲載したりしてきた。

 政官関係特集は,こうした連立政権と制度改革の時代において日本の政治過程および政策過程がどのように変容してきているかを解明する試みとして,時宜を得たものだと考えている。そろそろ,かつての日本民主主義体制論争の第二ラウンドが始まってもよい頃ではないだろうか。この特集が,そうした議論に大いに貢献することを期待している。




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34号目次

<特集論文>
日本における二つの政府と政官関係=飯尾 潤
官僚制の変容―萎縮する官僚=真渕 勝
日本官僚制の改革と政治的任命職―内閣主導体制の構築に向けて―=新藤宗幸
経済政策の国際・国内連携と銀行部門危機処理の政策経路 =樋渡展洋

<研究ノート>
バブル発生の政治経済学: 1985年〜1989年の金融政策:制度,選好,マクロ経済政策=竹中治堅
日本の援助政策とアメリカ:外圧反応型国家論の一考察=宮下明聡

<研究動向> アジア通貨危機の政治学=岡部恭宜

<書評論文>
参与観察という手法: 森脇俊雅著『アメリカ女性議員の誕生―下院議員スローターさんの選挙と議員活動―』 (ミネルヴァ書房,2001年),
朴歩著『代議士のつくられ方―小選挙区の選挙戦略―』 (文藝春秋,2000年)
を通じて=武田興欣

<書評>
伊藤之雄著『立憲国家の確立と伊藤博文 ―内政と外交 1889〜1898―』(吉川弘文館,1999年),同著『立憲国家と日露戦争―内政と外交 1898〜1905―』(木鐸社,2000年) =波多野澄雄
Saori N. Katada, Banking on Stability: Japan and the Cross-Pacific Dynamics of International Financial Crisis Management Ann Arbor: The University of Michigan Press, 2001=加藤浩三
日暮吉延著『東京裁判の国際関係―国際政治における権力と規範―』(木鐸社,2002年)=加藤陽子
浜中新吾著『パレスチナの政治文化:民主化途上地域への計量的アプローチ』(大学教育出版,2002年)=平井由貴子
村山皓『日本の民主政の文化的特徴』(晃洋書房,2003年)=平野浩



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真っ先に読まれる「編集後記」

<34号編集後記>
 利根川進の『私の脳科学講義』は,研究に対する姿勢という点で社会科学者にも教えられるところが多い。特に,本書を通じて一貫している姿勢は,自分のおもしろいと思ったことをプライオリティを明確につけて追求するということである。「おもしろい」ものを見つけるのは単純なようで難しい。なぜなら「ものすごく努力する価値の あるものをおおよそのところで見つけなくてはならない」(同書,128頁)からである。これは研究者個人の責任において培うべき姿勢であるが,やはり彼の来歴を 読んでみるとその姿勢を受け入れる人と組織が存在していたことがわかる。 ひるがえって考えるに現在の日本の大学は若い研究者がそうした姿勢を保持できる場になって いるだろうか。組織の一構成員として責任を感じざるを得ない。(加藤淳子)


   さる1月14日に,2001年の参議院議員選挙の非拘束名簿式比例代表制の仕組みおよび都道府県選挙区の一票の格差をともに合憲とする最高裁判決が出た。前者については,全員一致で合憲の判断だったが,後者については,多数意見は,都道府県選挙区を採用し,半数改選によって定数が偶数となるために,一票の格差が最大五・〇六倍となったとしても国会の裁量の範囲内だとしたが,補足意見の中で,次回選挙でも現状のままなら違憲となる余地が十分あるとした。一票の格差を是正するためには,都道府県選挙区定数を現行の73から増加させるか,あるいは都道府県ごとの選挙区をやめるかしか,政治的に可能な解決はない。定数増は難しいし,都道府県選挙区は参議院の存在意義と密接に関係する。国会が最高裁の問いにどのような答えを見つけるか,興味深い。(川人貞史)


 また年末。漸く『現代韓国の市民社会・利益団体』初稿を直す。日韓比較に手間取り結局2年越しである。同シリーズ04年からは年一冊は刊行したい。次は米独である。The State of Civil Society in Japan (Cambridge UP)が12月に刊行された。これは4年越しである。市民社会組織調査の方は,遂にロシア,トルコと7カ国目に入った。今年はさらにフィリッピンと日本全体の徹底調査を行う。調査回数を増やすと時系列的な分析が可能になり,単なる断面図を超え,分析が踊りだすような気がする。村松岐夫氏を中心とした圧力団体調査も3回目が完成間近となり,これと併せて頂上と基底の二側面,5時点での分析を行い,80年以降の現代日本市民社会を立体的に再構成していく試みである。(辻中豊)


   今回は京都大学の宣伝。平成16年度に新しい大学院として国際公共政策専攻が立ち上がる。従来からあった職業人教育のための専修コースを改組したものである。カリキュラムの詳細はホームページ等で見ていただきたいが,英語のトレーニングや事例研究に力を入れた内容になっている。先日,入学試験が実施された。試験科目として英語を必須としたためであろうか,受験者は粒ぞろいであった。4月に入学してくるものを,実際にどのように教育していくか,楽しみである。しかし,法科大学院と異なり,少なくとも現在は課程修了がただちに職業に結びつきものではない。したがって,卒業生の商品価値は市場のなかで決められていく。いかに商品価値を高めていくか,これからが重要である(真渕勝)。



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◆33号 特集 地方分権改革のインパクト(03年10月15日発行)
特集のねらい 地方分権改革のインパクト
         (文責)真渕 勝

 この33号の特集を「地方分権改革のインパクト」として,広く論文を募ることにした。  『レヴァイアサン』は発刊以来,公募方式を積極的に進めてきているが,特集を継続的に組むためにいわゆる依頼論文も掲載してきたという経緯がある。そこで,公募論文を中心に特集は組めないものかとか考えてきた。本号は,その最初の試みである。

 テーマは2000年に実行に移された地方分権改革である。機関委任事務の廃止や法定外目的税の導入,国の関与のルール化・透明化,国地方係争処理委員会の設置などを内容とする2000年の分権改革について,改革の中身を解説する文献・論文はきわめて多いが,制度改革が実際の中央地方関係にどのような影響を及ぼしているかを調査したものはほとんどない。制度改革の効果がはっきりと現われるには,何年もかかるものと常識的には考えられる。効果を測定するのは,時期尚早であるかもしれない。しかし,公募のアナウンスメントにも書いたように,改革直後に何が起きているのかを記録にとどめておくことは,今後の研究の材料としてだけでも,価値がある。「地方分権改革のインパクト」というテーマで論文を公募したのは,このような理由による。

 さて,本特集は二つの柱からなっている。
 第一は,2000年の分権改革に直接関わった研究者による観察記録である。改革の当事者たちは,改革が実行に移された2年後をどのように見ているのか,これが記録に残しておきたいことであった。ことの性質上,公募論文というわけにはいかないので,執筆をお願いした。。分権改革はなお進行中であり,直接間接に改革に関わられているにもかかわらず執筆をお引き受けいただいたことを感謝したい。当事者ならではの観察とリアルタイムの分析はそれ自体刺激的であるし,今後のさらなる分析の重要な素材としても重要である。これらを活用するのはわれわれの責任である。

 第二は,地方自治や中央地方関係に関する経験的研究である。北川論文は,「平成の大合併」の動向を分析の対象としている。合併に取り組む町,合併に抵抗する町についての断片的な記述は多いが,そして合併のメリット・デメリットを抽象的に指摘する記述も多いが,このように合併への取り組み状況を俯瞰的に分析したものはない。
 名取論文は,補助金(国庫交付金)が地方の政策決定にどのような影響を及ぼしているかを分析している。首長の(操作的に定義された)政治的態度を通じて,補助金が地方の政策決定を大きく左右している様子がきれいに描かれている。
 最後の澤野論文は,住民投票についての実態分析である。著者も述べるように,沖縄以外の地で「基地」に相当するものは何かが特定されれば,「沖縄における住民投票」の研究以上のものになる。

 冷や冷やすることもなかったわけではないが,やはり今後も,機会をみつけては,公募論文中心で特集を組み立てたいと思う。編集委員一同,読者のみなさんの参加を,心から待っている。

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〔特集論文〕
第一次分権改革の効果=大森 彌
地方分権改革の政治過程──「三位一体改革」と地方分権改革推進会議=森田 朗
地方分権改革と市町村合併=北川雅敏
補助金改革と地方の政治過程=名取良太
住民投票における投票率とその決定要因=澤野 孝一朗
2000年総選挙後の日本における政策と政党間競争=加藤淳子/マイケル・レイヴァー
〔書評論文〕
ドイツ・緑の党の変容―抵抗政党から国政与党へ=西田 慎
『緑の党/党の国家化』
Paul Tiefenbach, Die Grunen. Die Verstaatlichung einer Partei, Koln, PapyRossa, 1998, 221 S.
『二重の合同/緑の党と九〇年同盟の合同の前史,過程,影響』
Jurgen Hoffmann, Die doppelte Vereinigung. Vorgeschichte, Verlauf und Auswirkungen des Zusammenschlusses von Grunen und Bundnis 90, Opladen, Leske + Budrich, 1998, 404 S.
『緑の党の未来/「そんなふうには統治は出来ない」』
Joachim Raschke, Die Zukunft der Grunen. "So kann man nicht regieren", Frankfurt/Main, Campus, 2001, 470 S.
〔書評〕
中野 実著『日本政治経済の危機と再生―ポスト冷戦時代の政策過程』(早稲田大学出版部, 2002年)=伊藤光利
東大法学部蒲島郁夫ゼミ編『選挙ポスターの研究』(木鐸社,2002年)=川上和久
五十嵐武士著『覇権国アメリカの再編―戦後の改革と政治的伝統』(東京大学出版会,2001年)=清水さゆり
河野 勝著『制度』(東京大学出版会,2003年)=数土直紀
田中恭子著『国家と移民―東南アジア華人世界の変容』(名古屋大学出版会,2002年)=関根政美
谷 勝宏著『議員立法の実証研究』(信山社,2003年)=増山幹高
水島治郎著『戦後オランダの政治構造―ネオ・コーポラティズムと所得政策』(東京大学出版会,2001年)=宮本太郎
古矢 旬著『アメリカニズム―「普遍国家」のナショナリズム』(東京大学出版会,2002年)=油井大三郎


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真っ先に読まれるページ編集後記
<33号編集後記>
 よい先生というと必ずイェール大学でゲーム理論を教わった某教授を思い出 す。彼は当時の新進気鋭の経済学者で授業は複数の学部大学院の合併だった。 何気なく出た一回めのクラスで彼は板書もなく首を振り振り大変な早口で講義 し始めた。全員が殆ど理解できず,数人の学生が彼に抗議し最も優秀だった同 級生は"He is awful!"の一言で出席をやめてしまった。結局数学専攻の学部生 と経済学専攻の大学院生に混じり,多少はわかりやすくなったが依然難解な 授業に私が出ることにしたのは理由があった。あまりにも楽しそうな様子で講 義するのでこの先生がこんなに面白いと思っている理論なら学んでみようと 興味がわいたのである。彼に会わなければ政治学専攻の私がゲーム理論を学ぶ こともなかったと思う。私も政治学の面白さを学生に伝えたいと思うのだが, 面白さも伝えられずわかりやすくもならない授業を反省することが多い。(加 藤淳子)


 本号が刊行される頃には民主党と自由党が合併しているはずである。民主党が自由党を吸収合併する形で野党結集が実現し,近く予想される総選挙では政権を争って与党対野党の対決構図が有権者に提示されることになっているだろうか。壊し屋の異名のある小沢自由党を吸収することは,トリ小屋に野犬を入れるようなものという批判に対して,菅民主党代表は,民主党はトリはトリでもタカかもしれないと切り返した。選挙目当ての政策合意のない野合という批判に対しても,政権目当ての大同団結とすずしい顔だった。民主党が掲げた政権獲得時の政策実施プランとしてのマニフェストに対しても,政権公約という形で各党が取り入れざるをえなかった。十年前の政治改革の諸制度に対する習熟がまた少し進んできたようである。(川人貞史)


 前号からの作業『現代韓国の市民社会・利益団体』仕上げをまだ続けている。 言訳を重ねれば,社会学類長に再選され,「比較市民社会・国家・文化」特プ ロというプロジェクトを始めたせいである。個人を離れマクロに見れば,大学 人がなべて忙しくなっているからである。国立大学法人化,中期目標作成,COE など競争性と効率性を叫ぶプロジェクトが目白押しであり,10年来続く大学院 重点化や専門大学院創設は組織再編を強いると同時に,数多くの大学院生を大 学に溢れさせている。これは過渡期と諦めるべきか,いや違う肝心の「何か」 が欠けていると叫ぶべきか。「永久実験大学」にいるため「改革」の騒音・火 の粉にはなれていると,これ以上「草鞋」を増やさず,ひたすら自分の道を進 むべきか。毎日何かを断ることの連続である。(辻中 豊)


特集のねらいの続きともいえる感想を三つ。@比較研究の重要さが認識されるにつれて,同質的な一定の数のNが期待できる「地方」は,絶好のフィールドとなってくるはずである,と考えてきたが,立派にそのようになってきている。A熱心に投稿してくれる若い研究者は多く,たのもしい。B特定のテーマで時間を切って論文を募るのは,なかなか大変だ。(真渕 勝)


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◆32号 特集 90年代の政党政治と政策の変化(4月15日刊)
特集のねらい 90年代の政党政治と政策の変化
         (文責)加藤淳子

 1993年以降,日本の政党政治が変化し,それが選挙制度改革のように公式の制度の変化や政策決定手続きといった定式化されにくい変化を伴ったことは論を俟たない。一方で,これら一連の変化の意味,影響に関しての研究は,変化以降の観察,データの蓄積にはまだ日が浅いため困難を極める。特集で扱う六論文はこうした限界をそれぞれ独自の工夫で克服し,変化の意味を,選挙制度改革,国会審議,政官関係,中央‐地方関係の政治過程から探ろうとする労作である。

 冒頭の谷口論文は,中選挙区制から小選挙区(比例代表並立)制への選挙制度改革の影響を組織票動員という観点から分析する。小選挙区においては組織票動員が進まないという演繹的理論に基づいた仮説を,最も動員が進むと考えられる条件を持つ選挙区を事例として検証し支持する。谷口論文は,新選挙制度下,第1回の選挙データのみで分析を行うことに伴う不可避的限界を仮説を演繹的理論に緊密に結びつけることで解消する。今後,小選挙区制度の定着により,現役優位及び当選者固定化の現象が生じた場合でも,仮説が述べる有権者側のバンドワゴン現象と組織票動員の理論的齟齬の可能性は残る。この意味で本論は,稀少なデータしか与えられない段階での分析からさらなるデータ分析に有用な仮説と提示している。

 堀内・斎藤論文は,中選挙区制から小選挙区・比例代表並立制という制度上の変化における,選挙区割りの変化,それに伴う議員定数配分格差是正という選挙制度改革の重要な一面を,中央政府から地方への補助金配分格差の変化と関係づけて分析する。これは,いわゆる「1票の格差」と「ポークバレル」という民主主義における代表に伴う問題を因果関係を前提に実証的に分析したという点で興味深い。「1票の格差」が是正される程「ポークバレル」における1票あたりの不均衡な配分が是正されるという結論は,今回の選挙制度改革の影響を超える一般性を持つ。今後のデータの蓄積とその分析により,この「是正」の影響と効果がどのように推移していくかによりさらに一般性の高い議論が期待されるからである。

 三浦論文は,国会の立法過程の意味を国会審議の内容分析によって探る。国会の日本政治研究における位置づけと国会審議の内容分析の意義,国会の議事録をどのようにコード化するかという内容分析の方法論,また事例として扱った女性労働関連三法案の事例の比較という異なる側面から見るべきところの多い論稿となっている。1997年から2001年までの政党再編期の事例を扱ったため,国会の立法過程を政策決定過程全体に位置づけるには,あまりにも多くのコントロールすべき変数が含まれていることは否めない。一方で,それぞれの変数の影響については明確な議論がなされているため,今後,国会審議過程の内容分析の研究が蓄積することによって,野党が国会審議に影響を強める(或いは弱める)条件,政党の再編や配置の変化の影響といった観点からより一般性の高い結論を引き出す嚆矢となる論文と言える。

 土屋論文は,自民党が政権を独占していた80年代において盛んに分析の対象となった政官関係,族議員に焦点をあて,あえて自民党優位の相対的凋落が明確になった後の政策決定過程の分析を行っている。さらに,情報通信政策と言う1980年代以来の比較的新しい政策分野を扱ったため,自民党長期一党政権と族議員現象をセットとして考える通説的な説明に対し,族議員現象を,政策知識と政官関係を中心に捉え直す新しい観点を提示している。五五年体制の崩壊と共に研究関心も,90年代以降の新しい問題や現象に傾きがちだが,政官関係や族議員といった現象にもう一度目を向けることが,90年代における変化の意味を明らかにするとともに,より高い一般性を持つ議論を引き出すことにもなるのである。

 豊永論文は,土屋論文が経営形態の観点から分析の対象としたNTTをめぐる政治過程を,組織の分割に伴う政策決定のコーポラティスト・シナリオの挫折から記述する。土屋論文が,完全民営化,市場の自由化という観点からNTTの分割問題を捉え,情報通信政策における政官の合意形成の失敗として特徴づけたのに対して,豊永論文は,労働勢力の政策過程への安定的参加の契機としてNTT分割問題を捉え,政策決定における政労関係のコーポラティズム化の失敗の事例とする。二論文の対照性は比較政治研究の全く方向の異なる戦略の表れでもある。土屋論文が族議員という日本政治研究に特有の概念を五五年体制崩壊後の事例であえて前面に押し出しその一般性を追求しようとしたのに対し,豊永論文は,コーポラティズムという比較政治の一般概念を可能な限り用いてNTT分割の過程の分析と描写に徹した。このコーポラティズム概念の応用が事例の解釈のみならず,従来のコーポラティズム論において認識が欠けていた政党の重要性を明確にすると主張する点において,豊永論文は「事例」の「比較」における意義を再認識させるのである。

 北山論文は,「中央‐地方関係」「公共事業」といった古くて新しい問題をテーマとしている。両者とも,五五年体制の維持――すなわち自民党政権支持――に重要な役割を担ったという点で古い問題であり,また90年代から現在にかけて新たな対応を迫られ政治問題化したという経緯において新しい問題である。公共事業が,中央‐地方間の,また地方間の再配分の問題としてとらえられるのはさして珍しいことではない。北山論文の貢献は,これを90年代以降,比較政治学の分野で脚光を浴びた,福祉‐生産レジームの類型論,いわゆる福祉資本主義の観点から捉え直そうとした点である。この両者を結びつける鍵となるのが,財政支出の構造であり,これはまさに,公共事業と言う日本に特有に見られる現象を,比較政治のマクロ的類型に結びつけるのに有効な着目点であろう。

 90年代の日本における政治変化はそれ自身,多面的複雑である一方,大きな社会経済変化も伴い,今後もさらなる研究が期待される。本特集の論文も全てその研究蓄積の第一歩として読まれるべきものであろう。


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〔特集論文〕
選挙制度改革と組織票動員――連合町内会を中心に=谷口将紀
選挙制度改革に伴う議員定数配分格差の是正と補助金配分格差の是正=堀内勇作・斉藤淳
国会の準立法活動:女性労働問題をめぐる国会審議の内容分析=三浦まり
「1990年代の情報通信政策――NTT経営形態問題にとらわれた十年」=土屋大洋
政界再編期におけるコーポラティスト・シナリオの台頭と挫折――NTT分割論争の帰趨をめぐる一試論=豊永郁子
土建国家日本と資本主義の諸類型=北山俊哉

2000年政権交代とオーストリア・デモクラシー――「連合形式」転換の政治過程=大黒太郎

〔書評論文〕
比較政治学における接近方法の接合可能性――小野耕二『比較政治』(東京大学出版会,2001年)を手がかりに=網谷龍介
〔書評〕
早川誠著『政治の隘路:多元主義論の20世紀』(創文社,2001年)=佐藤満
竹中治堅著『戦前日本における民主化の挫折――民主化途上体制崩壊の分析』(木鐸社,2002年)=竹中佳彦
(1)山田敦著『ネオ・テクノ・ナショナリズム――グローカル時代の技術と国際関係』(有斐閣,2001年)
(2)村山裕三著『テクノシステム転換の戦略――産官学連携への道筋』(日本放送出版協会,2000年),(1)(2)併せて=山本武彦
伊藤修一郎著「自治体政策過程の動態――政策イノベーションと波及」慶応義塾大学出版会 2002年=笠京子

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真っ先に読まれるページ編集後記



<32号編集後記>
 本特集を担当した。論文執筆者は若い世代の方が多い。最近,若い研究者の方や大学院生を見るにつけ,うらやましく思う。政治学には,まだまだ興味深い問題が多く,私の研究の残り時間は確実に年々減っていく。もう一度大学院でみっちり勉強しなおすことができるのなら,認知心理学か脳生理学をやってみたいと思う。興味は持っているが取り組みあぐねている権力の問題の研究に役に立つと思うからだ。先日,久しぶりに博士過程を過ごしたイェール大学を訪れ,ますますその思いを強くした。大学院生の頃は毎日心細く不安な思いで過ごし一人前になることが目標だったのだが,今 となれば一番幸せな時期だったと思う。自分の研究以外のことは考えなくてもよかったのだから。あの頃の気持ちを思い出して,できる限り新しい問題に取り組んでいきたいと思う。(加藤淳子)


 以前もこの欄に書いたことがあるが,政党結集をめぐるごたごたや新党結成への動きが年末に起こりやすいのは,政党助成法が政党交付金の算定の基準日を一月一日にしたからである。昨年末も民主党の党首交代から始まって一部が離党し保守新党に合流した。他方,公職選挙法では政党が合同せずに統一名簿を提出したり選挙連合を組んだりすることは想定されていない。政治家が制度の制約のためにかならずしも自由に活動できず,制度に適合するために政治的に必然とはいえない動きを行っているようでは,これらの法律は悪法であろう。法改正によって政党が合同しなくても選挙連合を組むことができるようになれば,二大政党勢力が競争することをめざす並立制の選挙制度が機能するようになるのではないだろうか。(川人貞史)


 03年に入り,漸く『現代韓国の市民社会・利益団体』の最終纏めである。シリーズ刊 行の遅れもあり,賀状も欠かすことになり,関係者にあわす顔がない。遅まきながら この場を借りてお詫びしたい。昨年末,韓国大統領選挙は波瀾万丈,結果として三〇 代以下が支持し市民社会・インタネット型選挙を行った新世代大統領が誕生した。共 編者の廉載鎬氏が選挙テレビ討論会の司会者を務めるというおまけもついた。民主的市民社会論からは絵に描いたような結果である。97年のサーベイでもこうした志向は明白であった。ただ,韓国編での分析はもっともリアルかつ深層に迫り,政党システムや国家・ 市民社会の中央‐地方問題まで浮き彫りにする。また民主化から一五年で韓国は「新世 代体制」,日本は五五年体制の転換を導いたことの比較体制論も興味深い。(辻中 豊)


 前(31)号でお知らせしたように33号の特集を「地方分権改革のインパクト」として論文を募ることにした。公募方式を積極的に進めてきた『レヴァイアサン』であるが,特集を継続的に組むためにいわゆる依頼論文も掲載してきた。33号でもテーマとの関係からいくつか掲載する予定であるが,他方で公募論文を特集の中心に据えるという新しい試みをすることにした。地方分権改革という進行中の出来事を対象にしているために,試論的・仮説提示的になるのは当然である。しかし,地方分権改革の効果や意義を把握するためにも,改革直後ないし途上の動向を分析し,記録にとどめておく価値は高い。新しい試みをするのは,新しい試みをするのは,編集担当者としては不安も大きい。しかし,期待はそれ以上に大きい。締め切りは5月10日,枚数は2百字原稿用紙100枚。(真渕 勝)


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◆31号 市民社会とNGO――アジアからの視座(増ページ 4月15日刊)

特集のねらい 市民社会とNGO―アジアからの視座
       辻中 豊(文責)

 本特集「市民社会とNGO−−アジアからの視座」は,市民社会やNGOという概念を,比較政治の地平で,欧米的でも日本特殊的でもなく捉え返し,経験的な分析概念もしくは分析焦点として客観的に用いるために編まれた。
 この問題意識の背景には,「市民」概念をめぐる論議のように,市民社会,NGOをめぐる日本での政治学研究,社会科学研究は国内消費用の傾向が強く,日本人研究者でのみ通用する固有の文脈が強調されすぎているのではないかという懸念が筆者にある。第一論文として展開するように,世界の学界での用法とはギャップがある。日本の特殊な用法やニュアンスは興味深い問題であるが,そこに固執する限り,入り口の言葉の議論で行き詰まってしまって,経験的な分析が行われにくい。また世界では多様な社会を対象として1000を越える論文が10年余で書かれているが,それらを吸収する目を閉ざし,結果として日本の研究を視野狭窄な独り善がりなものにすることになる。
 他方で,市民社会やNGO,NPOを民主主義,民主化と等号で結ぶような,やや無邪気な市民社会論,NGO論も氾濫している。メディアには,NPOという日本固有の略語やエンパワーメント,アドボカシーといったカタカナ語が溢れ,一種のブームの感がする。しかし,それらの実態や意義についての政治学的な,経験的な分析はほとんど進んでいない。多くの日本の書物は,世界の学界の動向や経験的な比較分析とはほとんど接点がない。これらへの実質なきブームは幻滅が生じると,反動として総批判へと転化する可能性を孕んでいる。
 本特集では,そうした日本の知的情況に対して,アジアの経験的な比較分析の視点を導入し,世界の学界との接触と交流を深めたいと考えた。  最初に,編者が,こうした問題意識に基づき,世界の政治学界の動向を踏まえ市民社会とNGOの再定義を試みる。こうした概念への注目は90年代にほぼ世界同時に生じたが,地球化とポスト-社会主義の時代における新しい公共性志向として捉えることができる。
 第二論文の執筆者フランク・シュワルツは,ハーバード大学,ハワイ東西センターを拠点として,日米欧アジアの研究者を交えて行われた『日本の市民社会』プロジェクトの成果であるState of the Civil Society in Japan (Cambridge University)の共同編者であり,その序論(「序論:広いレベルの論争と日本の位置」)および第一章「市民社会とは何か」の執筆者である。彼は,欧米的な文脈を文献的に検討した後,最近の日本の論調,市民社会をいわゆる「市民団体,NGO,NPO」だけに狭く捉えがちな論調を対比し,すでに触れたように機能的な広い文脈を強調する。

 次いで,重冨論文は,アジア経済研究所を中心とする広範な比較研究の伝統を受け継ぐ。
既に触れた世界の比較政治の動向に対応するアジア15ヶ国の比較研究を踏まえ,単純な近代化論的な認識では,多様なアジアのNGOの展開が捉えきれないことから出発し,政治経済的な機能空間における国家,市場,共同体の配置関係,占拠関係の中で,彼の言うNGO(広義なので市民社会ともほぼ対応)が展開することを理論化する。
 さらに,首藤論文は,豊富な事例研究を踏まえ,アジア市民社会が,国家との関係抜きには論じられないこと,また国際関係や地域主義の曖昧な雰囲気がもつ積極的な意義について,豊富な事例を引証しながら,国家人権委員会に焦点を当てて詳細に検討している。

 最後に,廉載鎬論文は,筆者とともに行った韓国の市民社会組織の包括的な実態調査と韓国での多様な調査を基にして,民主化以後の市民団体の政治化が,いかなるガバナンスの変化をもたらしたかを,三つの事例研究を含めて綿密に検証している。

 以上の五つの論文は,用語法などで必ずしも統一が取れているわけではないが,いずれも,世界の政治学界での市民社会,NGOの研究動向に対応した経験的な研究の成果であり,その意味でアジアの経験的な比較分析者の視点を導入し,世界の学界との接触と交流を深めたいという筆者の主張と軌を一にするものである。アジアや日本の現状を含めた大胆でかつのびやかな経験的・理論的研究の世界への発信を願って本特集は編まれたのである。


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〔特集論文〕
1)辻中豊「世界政治学の文脈における市民社会,NGO研究」
2)フランク J.シュワルツ「シビル・ソサエティーとは何か」
3)重冨真一「NGOのスペースと現象形態:第3セクター分析におけるアジアからの視角」
4) 首藤もと子「東南アジアの国家人権委員会と市民社会」
5)廉載鎬「韓国の市民社会とニューガバナンス―民主化以後の市民団体の政治化」
〔投稿論文〕
日野愛郎「ニューポリティックスの台頭と価値観の変容」
佐脇紀代志「地球温暖化防止政策を巡る国内政策過程―京都会議を焦点に―」
〔研究ノート〕
須田祐子「電気通信事業に対する外資規制」
〔書評〕
近藤康史著『左派の挑戦』(2001年,木鐸社)評者=阪野智一
David Epstein and Sharyn O'Halloran, Delegating Powers: A Transaction Cost Politics Approach to Policy Making under Separate Powers, Cambridge: Cambridge University Press, 1999.評者=杉之原真子
森裕城著『日本社会党の研究』(2001年,木鐸社)評者=福永文夫
中山洋平著